パソコン履歴(というほどのものじゃないか)



1982、83年のころ
学部学生時代、実家に帰ったときは兄のシャープの X-1(turbo かな?)やアップルIIc などをいじくっていた。このあたりがはじめてのパソコン体験だと思う。とにかくアップルの機械のサイズに感動した。ああいうのを名機というのだろう。ゲームもえらく面白くて、『オーガ』なんかにはまったような記憶あり。帰省(寄生みたいなもんだけどさっ)したときによくやっていた。名前は忘れたけど、二人の騎士が剣をもって闘うのを上から見てるゲームなども、その発想に驚いた。『ウィザードリー』『ウルティマ』『リトル・コンピューター・ピープル』などという固有名詞を知ってしまったのもこの頃。

そのころ、兄は仕事で上京することが多くて、仕事の前後に秋葉原にソフトを買いに行くのですが、そこにつきあわされるんですね。あのころはアップルのゲームを売ってる店も少なかったんだよなあ。秋葉原ラジオ会館の中の一軒によく行った。でも考えてみれば、いやいやつきあっていたわけじゃなくて、なんかああいう店に行くとやっぱりうきうきしてた。アメリカ版ファミコン・ソフトの専門店(これがまたいかがわしかった)でWWFのゲームを見つけたときも興奮したなあ。クソゲーだったけど、画面を見たときの高揚感は懐かしい。

1984年
大学の4年になってからゼミの先生が研究室においてあった富士通の古い機械(FM-7 かな?) でときどき遊ぶようになった。f・7 キーあたりがロードのキーになってて、あれを押すとカセットテープがきゅるきゅるきゅると変な音をたてて回り始めるんだよなあ。ちょこっと自慢すると、私、ゲームの「倉庫番」は強かったです。今はどうかわからんが。

1986年
大学院の修士課程に入ってワープロ専用マシン(リコー・マイリポート)を買った。パソコンじゃないな。でもまあいいか。パソコンにするか、ワープロ専用機にするか、いろいろ悩んだのだけれど、まあそのうち買いかえるだろうし、最初はこれでいいかという判断でした。

今考えるとあれもなかなかいい機械だったと思う。キーは押しやすかったし、変換もなかなか賢かった。プリンター部もそこそこよくできていた。大学院の授業用のレジュメ、論文の文献目録などを作るのに便利だった。ただ、ディスプレイが20文字×2行だったので、さすがに修士論文そのものを書くのは無理だった。そういうわけで修士論文は手書き。我々の一年下の学年から圧倒的にワープロでの修士論文が増えたはずである。

1988年
博士課程に入ったからというわけでもないが、やっと自分のパソコンを購入。といっても、それまで持っていたマイリポートに現金をほんの少しつけて、友人のパソコン(国民機 PC-9801Vm2)、プリンター(PC-PR101T)、ディスプレイ(純正15インチ)と交換しただけ。最初はハードディスクなし。メモリーも知人からボードをもらって、やっと640Kに。ドライブAにアプリケーション、Bに文書ディスクで、フロッピーをがちゃがちゃ鳴らしていろんなことをしていた。別の知人から「通信ポコ」という1200bps のモデムをもらって通信も始めた。この変な名前のモデムもやっぱりがちゃがちゃ音を出して電話回線に接続していた。通信ソフトは最初「まいとーく」などのパッケージソフトを使っていたが、すぐにフリーウェアの WTERM に変更。無料でこんなもの使っていいのか、とびっくりした記憶あり。それにしてもあのころのパソコン通信って素朴で楽しかったなあ。草の根BBSが多くて。ニフティも黎明期。いろいろ面白い体験をさせていただきました。細かいところまでは言いたくないが。

それはともかく、こうしてほとんど現金を使わずにパソコンを使い始めたのだけれど、さすがにハードディスクは誰も譲ってくれず、日本初の後部スロット内蔵HD(40MB、定価99,800円)を買った。ここから一気に快適なパソコンになりました。

ちなみに、このときにどうしてマックじゃなくて DOS マシンにしたかにはいろいろ理由があります。パソコンを使用する目的とか、当時の日本のパソコン事情とか、自分のまわりの人間のパソコン環境とか。マウスも嫌いだったし。でも最大の理由は、当時のマックの FEP がオンライン変換してくれなかったということだったと思う。単語を変換するたびに画面の下まで視線を動かせるったあ、いったいどういう了見なんだ。あれだけは耐えられなかった。あんな変なことを当然と思っている奴らがつくっているシステムにはどうしても馴染めなかったのよ。今はマックもさすがにそんな変なことはさせてないだろうけどね。

さあ、これで論文書くぞお、と燃えていたのだが、勢いあまって『ウルティマIV』を買ってしまう。当然のようにその後の1週間、パソコンはウルティマ専用マシンと化す。それどころか、自分自身がウルティマ専用人間(羊飼いでした)と化す。必要最低限の用事があるときだけ外出し、帰宅したとたん、着替える前にもうパソコンの電源は入れている。着替え終わった頃にウルティマ・ディスクを挿入、手を洗い終わった頃にゲーム開始。寝食を忘れて没頭。こんなんで論文が書けるはずもないだろう。でも、それくらい面白かった。というわけで、このときの反省からその後ずっと自宅でのゲームは自らに禁じたまま。

このときのセットのディスプレイはテレビ受像機内蔵だったので、数年振りで自分のアパートにテレビが来たことになります。ただしテレビとしてはほとんど使わなかったけど。ちなみに、このディスプレイ、今でもときどき我が家でテレビとして使われている。寒い日には画像が映るまで10分くらいかかるが。Vm2 本体のほうは大学のどこかで実験用に使われているのかな。プリンターの方は妻の従姉妹が千葉で使っているはず。

追記 (2000年6月):テレビとして使っていたディスプレイもさすがにだんだん駄目になってきました。上では「寒い日には……10分」と書いてましたが、それがだんだん長くなってきて、ひどく寒い朝などは30分くらい何も映らないということになった。そこで引越し(2000年5月)を機に新しいテレビを買い、そのときにこのディスプレイも処分しました。考えてみれば、このとき買ったテレビが私が初めて買ったテレビです。これまで私の人生において、テレビって買ったことなかった。本当。貰ったり借りたりしたことはあるが、自分で新品テレビを買ったのはこれが初めて。ついでに言うと、このときビデオデッキも買いましたが、これも私が初めて買ったビデオデッキです。

1992年
立教の助手になってみると、助手室に富士通のマシンがあった。あと、法律系の助手をやっていた人が個人研究費で買った PC-9801 があった。両方とも良いスペックのものだったと思う。しかし富士通マシンに入っていたオアシスがどうにも不気味なソフトだったので、だいたいいつも 9801 の方を使わせてもらっていた。とは言っても、助手の雑務のためくらいだったのであまり使わなかったけど。

1994年
シカゴに引越す数ヶ月前にNECの古いノートパソコン(PC-9801NS)を兄からもらった。それにいくつかソフトウェアをインストール。それを自分で抱えてシカゴまでもっていこうとしていた。ところが、連夜のお別れコンパやら引越やらで疲れていたのだろう、成田空港でカーゴの上から床に落とす。が、うちどころが良かったのかソフトケースの威力か、無事だった。そのノートパソコンをシカゴ大学のコンピューターセンターに電話線でつないで使っていた。シカゴ大学に手続きに行った当日にIDとパスワードをくれたし、ホストのソフトなども含めてこの通信環境は東京時代にくらべてはるかに快適だった。このときNTTがいかに日本で暴利をむさぼっているかも実感。

在シカゴ期間のまんなかで兄の結婚式のために一時帰国し、今度は新品同様のノートパソコン(PC-9821Lt)をまた兄から貰う。OS は WINDOWS 3.1 、トラックボールがころころと回って、モデムはカードのファックスモデム。当時の私には夢のような機械。ところが、このモデムのドライバーのインストール、その他のソフトウェアのインストールをシカゴでしていたのだが、このときNECがいかにいびつな製品を作っているかも実感。

ちなみに、古いほうのノートは数人の友人・親戚らによって重宝がられつつ使用されていたが、さすがに寿命が来たか、ハードディスクから立ち上がらなくなり、現在は千葉のとある家具屋さんでディスプレイ(パソコン・ディスプレイにあらず)用にただの飾りとして使われているらしい。WINDOWS 3.1 モデルの方は、我が家で家計簿専用マシンになっている。

追記 (2002年7月):さすがにこの WINDOWS 3.1 モデルも耐用年数が来て昇天……というのはまったく嘘で、まだまださくさく動きます。ところが家計簿ソフトがバージョン・アップを繰り返し(当たり前ですな)、とうとうどうしようもなくなってきた。確かに新しいバージョンは便利な新機能もある。速い。ということで、2002年夏の渡米を機に WINDOWS98マシンに家計簿ソフトをインストール。この3.1マシンは押入れの奥で昏々と眠り続けています。覚醒・復活の日は来るか。

1996年
4月、今の大学に赴任して自分の研究室に初めて入ってみたらマックが机の上にどーんとあった。それは当然のように音楽CD再生専用マシンと化したので(一部、嘘)、コンピューターセンターに相談して DOS/V マシン(IBM PS/V2406)に交換してもらった。OS は WINDOWS 95をインストール。CPUにあまり力がないにもかかわらず、当初はさくさく動いてくれていた。ただ、メモリーを足しつつソフトウェアをバージョン・アップさせていったりしたら、なんとなくバランスが悪くなったような印象はある。現在、このマシンはソフトウェアを全体的に軽くして、代々のゼミ学生が卒業研究用に使用している。

追記 (2002年7月):2002年の渡米を前にこのDOS/Vマシンも処分しました。
追記の追記 (2023年4月):上記のDOS/Vマシンなど、デスクトップを処分するときに抜いたハードディスクは破砕処理も面倒だったので、その後のものも含めてずっと研究室に積んでました。また上記のWindows3.1マシン、またそのあとの歴代ノートPCも使い終わったあとの処分が面倒なのでぜんぶ一緒に本学の研究室に積んでました。ところが2022年4月に学長になり、2022年度中は研究室も併用させてもらっていたものの、2023年3月に研究室を出ることになり、HDは破砕処理、ノートPCも業者に処分してもらいました。

1998年
研究室のパソコンを TWO TOP の VIP に交換。ということで、これが私が手にした最初の「新品」パソコン。これまでは全部中古。やさしい友人や兄のおかげで、はっきりいって金かけてません。ところが、今回はディスプレイも新品、17インチ。これまでの15インチのものに比べればえらく見やすい。もう少し大きいほうが良いのかもしれないけれど、場所も取りそうだし。本体は机の下。なにも入ってないその素マシン(「素うどん」の「素」ね)に WINDOWS 98 をインストール。

その後、ハードディスクを増設したり、メモリー増やしたり、いろいろ部品を交換。そういうときも筐体は開けやすいし、今のところなんの問題もない。ただIDE・HDのピンが細くて怖かった。はめ込むときの、ぱき、という音にびびった。その他、翻訳や授業の準備のために各種の辞書や事典類をHDにインストール。それにしても、ハードディスクやメモリー(だけじゃなくて本体もだろうけれど)の値段の下がり方はこんな文章を書いてみると、ただただ驚くのみ。パソコンは生鮮食料品のように値段が変わるというのは良くわかる。

1999年
1999年の七の月を記念したわけではないが、初夏にシャープのメビウスノート(PC-MJ10MZ)購入。研究室と自宅の両方で使用。とある理由でソニーの商品は一生買わないと誓ってしまったし、東芝もIBMも嫌いだし、NECもあきたし、その他どうでも良い理由からメビウス。14インチの液晶ディスプレイは見やすい。プレインストールされていたソフトウェアの中のいらないものをばっさり消して、辞書類などを入れる。今のところ問題なし。

追記 (2001年3月):ディスプレイを開けるたびにぎいぎい言っていたヒンジのところが2000年の暮れにぶっ壊れました。どうもディスプレイ側の大きさのわりにヒンジの作りがやわかったようです。こんなでかいディスプレイの下側をこんな細いねじ2個でとめてていいのかなあと思いつつ、普通に開け閉めしていたら、ある日、ばかんっ、とディスプレイ側の筐体の一部が割れ、プラスティックのかけらが隙間から転げ落ちましたです。幸い、液晶そのものは壊れなかったけれど、サービスセンターまで持ちこんで修理費36000円。ノートパソコンの場合にはハードディスクのなかにいろいろ個人情報などが入っていることを、シャープはまったく考慮してない修理体制に少し違和感を持つ。「驚愕」などと書かないのは、どうせメーカーなんてそんなもんだろうと思うから。結局、ハードディスクをとりはずしてから修理に出しました。

2000年
もう1個ノートパソコンが必要になり、パナソニックの Let's note(CF-L1EA)を購入。もう1台メビウスにしようかとも思ったけれど、この Let's note の薄くて丈夫そうな気配とメタリックな感じにひかれ、また何よりも無駄な機能があまりないというところで決定。アプリケーションを立ち上げるボタンなど、本当に使っている人いますか?

と買ってはみたものの、すぐに壊れました。購入後、数週間でハードディスクがクラッシュ。当然、無料で交換してくれました。でも、いろんなソフトウエアの再インストール、再設定などで、結構時間をとられた。面白かったのは、壊れかけた時に、「このハードディスクは物理的に損傷し始めていますので、重要なデータは早めにバックアップを取りましょう」という警告が表示されたことですね。そんな警告文まで入れていたんだ。

このクラッシュ以外は問題なく動いています。キータッチはメビウスよりこっちのほうが良いかな。液晶はメビウスの勝ち。

2002年
ニューヨーク大学(NYU)のICASという研究所に赴任。ワシントンスクエアの南辺に面した建物にある研究室にはDELLのマシンが。それを一年間使用。NYUのコンピューター・システムもよくできてて、何の問題もありませんでした。大学のコンピューター・センターも近所に何ヶ所かあって、それらも使い放題。大学のサイトもよくできてます。そのおかげで、研究員生活終了後、仕事がてらヨーロッパ経由で日本にかえる一ヶ月半のあいだ、旅行先でもNYUのアドレスは快適に使い続けることができた。大学が貸してくれたアパートでは日本から持っていった日本製のノートパソコンを使用。でも研究室も近かったので、ほとんどそっちにおいてあるDELLのマシンを使ってました。

2003年
ニューヨーク大学から新潟に帰ってこれまで使っていた研究室のデスクトップをマザーボードだけ換えて使うか。それとも新しいのを一個買うか。思案していたんですが、いろいろあってDELLのマシンを購入。

2007年
研究室のDELLの電源が不安定になってきた。なんか早い気がするけれど、なったもんはしょうがない。で、以前使ってまったく問題なかった TWO TOP の VIP を……と思って新潟の TWO TOP に行ったら、なんやらパソコン工房という会社と合併したのか、買収したのかされたのか、よくわからんけれど、パソコン工房製のデスクトップが各種たくさんならんでます。筐体、CPU、メモリー、HD、ビデオボードなど、適当に(適切に?)組み合わさっていて、どれも本当に安い。Lesance という名前のついたデスクトップのなかの気に入ったスペックのものを即決で購入。だから型番とかよくわかりません。そもそも型番とかあるのか。ともあれ、こんなの買うとパソコンもほんとに安くなったもんだなあ……としみじみする。かつてのスペックから何桁増えて、値段は何分の一になったんだろう。

2008年
講義や出張中に使うノートがさすがに駄目になってきた。いや、ハード的にはぜんぜん問題ないのですが、あまりに古いOSがね。動かざること山の如し。こんどはほんとに小さいのがいいなあ、ということで。工人舎のちっこいの(SA5KL08A)を購入。OSはWindows XP。人に会う時に持って行ったり、研究室で外付のディスプレイにつないで使ったり。小さくて使いやすい。Eee PC なども考えたんですが、これはこれでよかったと思う。これからこの手の大きさのパソコンは増えるような気がする。ただ、出張先で長文を打つ時などはキーボードが小さくさすがにきついので、折りたたみ式の外付けキーボードを使用。これも快適。

2010年
工人舎 SA5KL08A は信じられないくらいのコストパフォーマンスで出張先でも活躍していたのですが、使用するソフトも増え、そのせいか反応(特にネット接続時)もだんだん遅くなってきた(ように感じられた)。ということでちょっと長めの海外出張を機に新ノート購入。いろいろ迷ったけれど、結局 ASUS UL20A にしました。でもこれはすごく使いやすい。キーも打ちやすい。持ち運ぶにも大きすぎない。スペックも問題ありません。こういう機械を ASUS に作られると日本の会社はきついだろうなあ。こういう商品が流通しているにもかかわらず、国産ノートを買う人の理由が知りたい。ちなみにOSはWindows 7。こうしてVistaをスキップすることができたのは幸運だったと思う。

2011年
研究室。パソコン工房(TWO TOP 含めいろいろ合併したらしい現ユニットコム)製のLesanceもさすがに遅くなってきたということで、新しいLesance DTというのを購入。店頭で適当にスペック見て決定。ただし部品等、ちょっと追加、交換してるのでこれも型番に意味はないと思う。

2013年
ラップトップ。ASUS UL20A もさくさく動いていたのですが、物理的に重い。いや物理的反応ではなくて物体として。なんかいいもんないかなあと思っていたところ、Acer から「世界初 Windows 8 タブレット」をうたう Iconia W3 (あ、ワンダースリーだ)というもんが発売される。海外出張もあり、サブとしてとびついてしまいました。Bluetooth接続のキーボードにぱかんとはまり、それをつけても小さくて軽く、これもけっこう使いよかった。

2014年
ただ自宅のメイン、ASUS UL20A もさすがに限界か。ということで、かつての Let's note(CF-L1EA)の好印象もあり、またかなり軽そうだし、シンプルながらいろいろとスペックも良さげだったので、Let's Note CF-RZ4を思い切って購入。本体はB5版、10.1型のディスプレイは360度回転してタブレットとしても使用可。それになんといっても軽い。こうなると Acer の W3 の出番が減る。上で偉そうに「国産ノートを買う人の理由が知りたい」とか書いて、申し訳ありませんでした。先生、ごめんなさい。みなさん、ごめんなさい。

2015年
研究室。ユニットコムのLesanceが遅くなってきた。ディスプレイ一体型のデスクトップもかなり安くなってきたし、でかい筐体を机の下に置くのも面倒になってきた。ということで初めてディスプレイ一体型をさがす。前年暮れのボーナス商戦用商品(ややこしい)で、そこそこのスペックのNEC製VALUESTAR S VS370/TSが家電量販店でかなり値引きされていたので購入。YAMAHAのスピーカー付とのことですけど、この音はけっこう好き嫌いが分かれそう。イコライザーで調整してなんとか。また、素のままだとあまりに遅く、メモリーを増設。そもそも一体型でメモリー増設を前提にする商品を売るかあ? でもまあ安かったし。普通に動いてはいるので。

2017年
急遽決定した1年間のサバティカル。前半のノースカロライナ大学チャペルヒル校、後半のカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)ともに、研究室用にWindowsのデスクトップを貸してくれました。それぞれの大学のウエブサイト、また教員用ポータルの仕様も面白かったです。自宅では上記のLet's Note CF-RZ4を使用。ところがチャペルヒルのアパートで酒を飲んでいてRZ4をテーブルから床に落とす。でも壊れなかった。これもまた打ちどころが良かったのだろうけれど、丈夫な造りでもあったんでしょう。

2022年
RZ4は本当に小さいし軽いし、キータッチも良好、バッテリーも自分で交換できるタイプ。また、震えながら買っただけあってスペックもそこそこ良かったのか、2018年にアメリカから帰国したあともずっと使っていました。しかしさすがにだんだんきつくなってきた。そこでRZの新しいのを買おうと思ったら、なんとこのRZシリーズ、前年に生産中止とのこと。しかたなくLet's noteの新シリーズCF-QV1をお正月にお年玉で購入(一部嘘あり)。12型で、これもまたコンバーチブル。便利です。画面もきれいだけど、やっぱりちょっと重量が。またRZを出してほしいです。

4月になって学長室に引越し。細かいことは省くけれど、Windowsマシン。2022年度のみ、研究室も併用させてくれることになっていたのだけれど、研究室にいられるような日々ではなかった。また本学の街中にある新潟中央キャンパスの社会連携センター長も学長は兼務するので、そちらのセンター長室に研究室のNEC VALUESTARを移す。学長室のものに比べると遅いけど、まあそれほどいろんなことに使うわけでもないので、今のところは問題なし。


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