見た映画――番外編


些事、でも少しは映画に関連していることなど。


文部省推薦

<アメコミ>映画化の誘惑

磨茹水餃

嗚呼、感動のノーチラス



文部省推薦
『ビッグ・フィッシュ』を見たとき、『ほたるの星』の予告編が流れました。すごく違和感をもちました。本編自体にとやかく言う気はありません。こういう映画が好きな人は見に行けばいいと思います。僕は見に行きません。

気になったのはその予告編にいきなり河村建夫文部科学大臣の推薦文がどどーんとでることです。この予告編を作った人は「文部科学大臣が推薦する映画だから良い映画にちがいない」って思う人間が世の中に本当にいると思っているんでしょうか。

僕らの世代は小学校以来、「文部省推薦」って単語を使って数限りないギャグをかましてきました。政治家や役所がある映画をほめて、そのほめ言葉でどこかの個人がその映画を見に行くことを想定することはいったい何を意味するのでしょうか。この予告編を作った人にとって映画とはどのようなものか、知りたいところです。

ついでにウエブをちょっと検索してみたら事態はもっと不気味悪いことに。この「文部科学省選定 東京都知事推奨」の『ほたるの星』という映画は山口県が舞台。そんで「実話を元に新米教師と子供たちが心を一つにしてほたるを飛ばすまでを描いた感動作(オフィシャルサイトから)」の原作は宗田理。とか思っていると、実は映画が先らしく、宗田がその映画を小説化。それを「原作」と表示するのも変だが、宗田本人はノベライゼーションではないといっているらしいです。わけわからん。なんじゃ、それ。

さらに検索をたどっていくと、この映画を推薦している河村建夫文部科学大臣の選挙区は「当たり前田のキャプチュード」的に衆院山口3区。自民党のサイトによるとこの河村さんという人は「教育基本法の改正をはじめ教育を根本から見直し『21世紀を心豊かにたくましく生き抜く日本人』を育成する新たな仕組みづくりが急務である」と考える「教育改革には一家言を持つ」「自由民主党内有数の文教通」だそうで。

さらに、とある日の参議院文教科学委員会(2004年3月25日)で民主党の佐藤泰介議員(愛知選出)はこの河村文部科学大臣に対して(本人も認めているように)唐突に次のような質問をします(以下、「国会会議録検索システム」から)。

大臣、突然の質問でこれもう恐縮でございますけれども、大臣、山口で「ほたるの星」という、三月から上映をされているというふうに思います。試写会を見られたというふうに聞きました。私もこの原作本を読んで大変感激をいたしました。
(中略)
それを書かれたのは宗田理さんという方で、これは名古屋に住んでみえますので、それで河村大臣もそれを試写会を見られたということをお聞きをいたしたわけでございます。
(中略)
ちなみに、委員の皆さんに、これ全国ロードショーはされるそうですので、機会があったら見てください。私、何も広告料をもらっていませんけれども、山口県からスタートするそうでございますので。
そんで「『ほたるの星』応援ボランティアの会」によると「山口県内で大ヒット先行上映中!!」だそうです。なんか「ためいき」しか出てきそうにないですなあ……。

ちなみにこの文教科学委員会には「有馬朗人君」らとならんで「大仁田厚君」が委員として、それから「馳浩君」が文部科学大臣政務官として座ってんですね。2人ともレスラーとしては好きではないが、この議事録を読んでいたら、たまにはサンダーファイアーやノーザンライトを委員会でかましてもらってもいい気さえしてきたぞ。とかいいつつも、国会の委員として有馬と大仁田がならんでるのを見ると、私たち有権者はとんでもないことをしてしまったんだなあと思う。いや、有馬も好きではないが。



<アメコミ>映画化の誘惑
あれは中学の頃か。兄がどこからか大量のアメコミをもらってきた。そうそう、きれいな糸で模様を浮き出させて……って、それは編み込み。アメコミといえば「アメリカン・コミックス」。DC Comics と Marvel Comics 。その2社のうすっぺたい雑誌がそれぞれ十冊くらいあったかなあ。これがどれもとんでもなく面白く、英語もそれほどわかるわけないのに辞書を片手にページをめくっていた。なんといっても漫画ですからね。絵見てるだけでもだいたいわかるのよ。とうぜん日本の漫画もとことん好きだったけれど、それらとはまったく違う雰囲気、線、コマ割り、キャラクター。はっきり言ってアメリカナイゼーション、帝国主義的文化侵略の極致でございますが、あれは新鮮だった。

DCでは『バットマン』『グリーン・ランタン』『ワンダーウーマン』『スーパーマン』。マーヴルでは『キャプテン・アメリカ』『ファンタスティック・フォー』『X−MEN』『スパイダーマン』『ハルク』『マイティ・ソー』とか。このラインの違いが面白いでしょ。社風というか芸風というか。

ぺらぺらの雑誌で、どれもこれも同じページ数。見開き毎にコミックスのページとコマーシャルのページが入っている不思議。わかりにくい文章で申し訳ないが、たとえば2・3ページにスパイダーマンの漫画が載っているとすると、4・5ページは全部コマーシャル、また6・7ページはスパイダーマンというふうになっていた。読みにくいけれど、その分コストを下げることはできてたんだろうなあ。紙質もえらく変。こんな薄い紙になんでカラー印刷できるんだろうかと不思議だった。

などと異国のカルチュアに触れる思いで、嬉しがって読んでいたんですね。

ところがさらにいろいろ読んでいると、ファンタスティック・フォーを突然スパイダーマンが助けに来たり、ハルクがキャプテン・アメリカに殴りかかったりと、なんかすごいことになっている。それでまたいろいろ読んでいると、もっととんでもないことに、バットマンとハルクが闘ったりしている。会社が違うのになんでそんなことができるんだろうと、本当に不思議に思ったものでした。日本では東宝のゴジラと日活のガッパが闘うなんてことは絶対にないでしょ。だいたい子供の頃から「敏夫君は怪獣映画が好きらしいけど、怪獣映画っていうと『ゴジラ対ガメラ』みたいなやつか」なんて発言する大人は心の底から軽蔑してたしなあ。今もしてますが。

ま、それはともかくアメコミですよ。そんなクロスオーバーも軽くこなすDCとマーヴル。当時はこの2社でほぼ独占状態のアメリカコミックス界。まだ イメージ・コミックスはなかったし。『スポーン』とかね。あれはトッド・マクファーレンがマーヴルを辞めてからだもんなあ。何年だろう。ダークホース・コミックスもまだなかった。

後年、このダークホースのコミックスを初めて見たときもびっくりした。というより正直言ってあきれた。いくらなんでも『ロボコップ VS ターミネーター』とか『ゴジラ VS チャールズ・バークレー』『子連れ狼・英語版』なんて滅茶苦茶なコミックスを考えるかあ? 好きだけどね。

そんでもって、こうしたアメコミのキャラクターは映画化されまくってきました。特に最近また多くなってきたような気もするほど。ま、人気の度合は前もって雑誌で確認できるわけだし、ファンもたくさんいるだろうし。映画会社としてはけっこう安全な線として製作できるんでしょうね。でもこれがくせもの。

ファンがそれだけいるということは、逆に言えば全世界の「おたっきーなアメコミ・ファン」が映画に対して評価を下すことになるわけですね。「こんなの、俺のスワンプ・シングじゃないっ」と怒りだす奴とか。「なにファンタスティック・フォーのキャラクター説明にだらだら時間かけてんだよ」とふてくされる奴とか。このての映画はどうしてもキャラクターの説明をしないといけないし、大変だ。でもこんどは、だからってファンに気に入られそうなのを作ると、それはそれで一般人にはさっぱりわからんストーリーになったりします。それからアメコミの場合は、ちょっとマニアックに作ると、えらく残酷な映画になってしまったりする可能性も大です。恐いなあ。

そういう意味ではコミックス原作の映画を作るというのはちょっとリスキーですよ。面白いのも少ないですよね。そんななか、やっぱりティム・バートンの『バットマン』は例外的に面白いんじゃないでしょうか。ヒットもしたし。最近観たサム・ライミの『スパイダーマン』も良かったです。

それらに対して『X−MEN』なんかは、一般人に説明しようとして間延びしたものになってしまった悪例かなあ。『スーパーマン』は手を出したこと自体が阿呆というか。あんなもん、どうやったってまともな映画にはならんぞ。『スワンプ・シング』はマニアを笑かそうと思ったら、スタッフしか笑わんかったというものかな。まあ、本当にどれもこれも苦労してます。『スポーン』は……(以下略)。

アメコミ原作の映画は予告編だけ見るとどれもこれも面白そうなんですけどねえ。たとえば、先日映画館で『ハルク』の予告編をしていました。ハルク本人は出ませんが(というより出ないからこそ)この予告編も本編を期待させるつくり。でもぶっさいくな顔した緑色の巨大なおっさんが吼えるシーンを想像しただけで、ちょっと脱力しますね。緑色じゃなければハルクじゃないし、巨大じゃなくてもハルクじゃないし。難しいよなあ、ほんとに。

そう言えば、TVで『ハルク』を放送してた頃、「あいつは足の上にものが落ちても、びっくりしていきなりハルクに変身してしまうんだろうなあ」と友人たちと話してたことを思い出したりしましたです、はい。どうなんでしょうね、ほんとのところは……って、そんなもん、ないって。



磨茹水餃
私は水餃子が好きである。母方の祖母がおそらくは満州時代に覚えたのであろう水餃子の作り方はその子、孫らに伝わり、我が家でも餃子と言えば水餃子だった。焼餃子は余りものの再利用みたいなもんである。それもうまかったけど。

が、そんなこととはほとんど関係なく、どんぶり一杯の水餃子が地面にころがってしまい、そのどんぶりも割れてしまったときには不覚にも泣いてしまった。もちろん『初恋のきた道』の話である。張芸謀(チャン・イーモウ)が2000年に監督したこの作品を映画館で見逃してしまった私は阿呆だ。衛星放送で見て、本当に私は自らの不明を恥じたのであった。

あえてストーリーも説明せんが、食べ物ってのはすごい。食べ物がなければ人間は生きてはいけない。その食べ物が語る意味も大きい。私の作った水餃子をあなたに食べてもらいたい。ただそのことが何を意味するのか。はい、食べます。そのことが何を意味するのか。中国共産党による自力更正大躍進時代、水餃子は意味をもつ。ジェンダー・バイアスばりばりの映画だ。「社会がそうなっているから」という逃げは許されまい。しかし良い映画に見えてしまうこの不思議。

本当は水餃子中国大地散乱シーンよりも、もっとすごいシーンがあって、もう泣けて泣けてしょうがない。そうかそうか、この映画のこれまでのこの押さえに押さえた展開はこのシーンのためにあったのか、と納得するのも忘れるほどである。そっちのほうのシーンについては書かん。とにかく見よ。

ちなみに、本作のウエブサイトの解説によるとあの水餃子は「磨茹水餃 モウグーシュイジャオ」というものらしいです。きのこ餃子だそうです。あの主人公がいつもさげていた籠はきのこ取り用だったんですね。いつでもきのこを見つけたとき、それを持って帰られるようにということらしいです。



嗚呼、感動のノーチラス
2002年春、とある土曜日の夕刻、新潟市教育委員会の生涯学習事業の一環、「にいがた市民大学」のゼミナールが終わる。充実したゼミができて良かったなあと安堵するも、市民の皆さんとの真剣勝負の討論の緊張からか、かすかな疲労感をおぼえながら帰途につくべくバス停に向かう。新潟市のシンボル、万代橋のたもとの模型屋さんの前を通りかかる。そのとき唐突に私の目に映ったショウ・ウインドウのなかの物体は、まぎれもなくあの「ノーチラス」。人類の映画史上、まごうことなく最高度に燦然と輝く意匠。嗚呼、このすばらしさを知るにあらずんば、人生、なんぞ梅花を説くべけんや。

というわけで、迷わず衝動買いしたのでありました……というのは一部嘘ありです。本当は、ノーチラスの非常に良いモデルが発売されたと兄から聞いていたんで、今日あたり買って帰ろうかなあ、でもこんなものを買って帰ると妻は怒るかなあ、けっこう値もはるしなあ、でかいしなあ……と「思案のろっぽ」だったんですね。でも、その商品を実際に見たらあまりに良かったんで、やっぱり買ってしまいました。

このノーチラス、『海底二万哩 20,000 LEAGUES UNDER THE SEA 』という映画に出てくる潜水艦です。全盛期のウォルト・ディズニー、渾身の特撮超大作。1954年製作。原作は当然、ジュール・ベルヌ。監督はリチャード・フライシャー。ベルヌもフライシャーも知らぬ方は逝ってよし。

1973年、小学校の6年生のとき、私はこの名画を松山の大劇という映画館で見て以来、その作品のあまりのすばらしさ、特にノーチラスの造型に惹かれ、映画を見た直後の半年間は、ありとあらゆる紙を見つけては、このノーチラスの絵ばかり描いていました。ノート、とりのこ用紙(なつかしいなあ)、広告の裏、なんにでも描いた。

ところが、なぜかこのノーチラス、モデル化にめぐまれません。国内、国外で何種か発売されたものの、ノーチラスの造型のすばらしさを表現しきれていなかったり、メタル板に薄くモールドがついているだけのほとんどフル・スクラッチ・ビルドに近いような「いったい誰がこんなもん作れるんじゃい」というものだったりと、とにかく買う気になるものはなかったんですね。

かつてレイ・ブラッドベリが自分の書斎に飾り、その写真を見た全世界3000万人のノーチラス・ファンをうらやましがらせた、あのモデルが欲しい。心ある人々は皆そう思ったはずだ(と思う)。あ、ブラッドベリを知らない方も逝ってよし。

ところが2001年暮に発売された「エクスプラス社」製作のこのモデル。ほぼ完璧です。表面のリベット処理。ブリッジ、そのブリッジの窓、舷側の窓、甲板、艦底のハッチ、艦首、スクリュー、全体の塗装、大きさ、コストパフォーマンス。こういうものを待っていたのですよ。やはり、人間、長生きはするものぞ。果報は寝て待てとは良く言ったものである。

と、おもちゃの話ばかりしていますが、映画も良し。監督のリチャード・フライシャーも、近年こそ『レッドソニア』やら『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』やらと、何が言いたいのかよくわからん作品が多いですが、やはりRKOで鍛えられた大ベテラン。この娯楽大作も細かいところまで作り込みながら、というより作りこんでいるからこそ、全体の印象も明確。

フライシャーと言えば、ブラウン大卒のアメリカ人映画マニアと話していて、このフライシャーもブラウン大卒で、大学院がイェール修了というのを聞いてびっくりした記憶がありますが、そんなこととは関係なく、もっと評価されて良いキャリアですね。そのフライシャーがRKO社からひとりだちした最初の作品がこの『海底二万哩』だったと思う。『見えない恐怖』『ドリトル先生 不思議な旅』『ソイレント・グリーン』『トラ!トラ!トラ!(の半分)』『ミクロの決死圏』『ジャズ・シンガー』『マンディンゴ』と彼の作品を挙げていくと、本当にうまい監督だというのがわかるでしょう。芸術的な評価はいくぶん低いけれど、映画館で座っている人の満足度は高いはずだ。

そのフライシャーの映画技法の特徴と言えば、有名な俳優たちを使いながらも、特撮シーンと彼らの演技シーンを違和感なく結びつけている点でしょう。作品全体を見てもとても自然な印象をうけるわけですね。それはこの『海底二万哩』でも同じ。「もり撃ちネッド」のカーク・ダグラス、ネモ艦長のジェームズ・メイスン、アロナックス教授のポール・ルーカス、助手のピーター・ローレ。皆、良い演技ですが、それらがこのノーチラスの造型はじめ、怒涛のような(ってこの映画は海洋ロマン大作だから、文字どおりすさまじい迫力の「波」やら「水」やら、いくらでも出てきます)特撮シーンとまったく違和感がない。これは、近年のSF映画と比べても特筆すべきことではないか。

それにしても、この『海底二万哩』という映画を大スクリーンで見ないまま人生を終えるというのはどうにもこうにも残念だ……と思わない人が世の中にいることが信じられない。私は映画館でこの作品を、それも自分が12歳のときに見ることができたという、この身の僥倖を感じる。その後も、とにかくどこかで上映されていたら見に行った。大井町の映画館でも見たなあ。ディズニー特撮3本立て。他の2本はどうしようもない阿呆映画だったが。なつかしいなあ。

おそらくはもう映画館ではかからない作品だろう。ビデオでもいいから見てください>本学の学生さんたち。ただし、テレビでの放映には気をつけるべし。いろいろとカットされ、特に本筋とはあまり関係ない「もり撃ちネッド」からみの楽しいシーンがばっさりと消される場合が多い。というわけでテレビでこの作品を見てしまうとえらく暗い映画に感じられてしまう。本当はそんな映画ではないです。センス・オブ・ワンダーあふれています。楽しいです。

そんでもって、買って帰ったノーチラスですが、そのままアパートに置いておこうとしたら、やはり妻の拒否権が発動されました。こんな変なもの我が家に飾るな、と。まあ、そりゃあそうだろうなあ。というわけで、アメリカ議会のように「大統領拒否権の拒否=オーバーライド」もできないし、家庭の平和を守るため、やむなく大学の研究室に飾っています。見たい学生さんがいたらいつでも見に来てください。でも壊さないでね。

附記:上の JPG 画像は僕が撮ったものではありません。兄のウエブサイトからぱくってきました。一応、兄の了承は得ています。


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