2010年に見た映画


クレイジー・ハート
ゾンビランド
借りぐらしのアリエッティ
プレシャス (2010年8月30日 シネマサンシャイン大街道)
アイアンマン2 (2010年7月12日 ユナイテッドシネマ8新潟)
パリ20区、僕たちのクラス (2010年7月5日 岩波ホール)
アリス・イン・ワンダーランド<3D> (2010年6月21日 ワーナー・マイカル・シネマ新潟南)
ずっとあなたを愛してる (2010年6月7日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
キャピタリズム マネーは踊る (2010年3月1日 ワーナー・マイカル・シネマ新潟南)
ラブリーボーン (2010年2月26日 ユナイテッドシネマ8新潟)
インビクタス/負けざる者たち (2010年2月22日 ユナイテッドシネマ8新潟)
イメルダ (2010年2月20日 クロスパルにいがた4階映像ホール 第20回にいがた国際映画祭)

クレイジー・ハート
Crazy Heart - 2009 - USA - 111 min.
2010年10月4日 ユナイテッドシネマ8新潟
見る人の多くが『レスラー』のカントリー・ミュージック・バージョンを想像するでしょうが、微妙にそれとも違う。ストーリーの違いというよりもイデオロギーの違いか。この映画でも救済は単純には示されてないので、このラストに納得しない人も多いとは思う。

ただしこの映画はストーリーや演出よりも役者の演技を見る映画のような気もした。その実力がもっとも低く評価されてきたハリウッド俳優の一人、Jeff Bridges がすごい(ちなみにもう一人は Kurt Russell だと思う)。『レスラー』のミッキーは「さすがにこれは地ではないよなあ」と思わせるところがあったけれど、こっちは歌い方から、ギターの運び方、ズボンのだらしないはき方、歩き方、油っぽいものの食べ方まで、もう演技の「技」を感じさせません。

ほかにも Maggie Gyllenhaal や Robert Duvall の演技もすごいですよ。でも今回気づいたのは Colin Farrell があんなにうまいとは。この難しい役どころを演じることができる人はそんなにいないんじゃないかなあ。

この単純な話(というよりはほとんどワンプロット)をここまでの映画にした演技力でした。


ゾンビランド
Zombieland - 2009 - USA - 81 min.
2010年10月3日 ユナイテッドシネマ8新潟
こりゃあ面白いです。ゾンビ映画だから、見る方も限られているとは思うけれど、その見る側の期待を十全に受けとめながら、意外な展開、ゾンビとしての新機軸など、とてもまじめに作られた映画。

「ゾンビの人権」とかそういうラインで話を引っ張って自滅するゾンビ映画もありましたが、本作はそういうところからはかなり離れています。走るゾンビと逃げる人間をスローモーションで見せると(その見せ方も当然うまいのだけれど)こんなに面白くなるとは思わなかった。他のシーンも良。

撮り方もうまいが、なんといっても脚本も良くできていて、台詞やキャラクターが細かいながらも、全体にわかりやすい流れがあって退屈しません。脚本など書いたこともないけれど、脚本のお手本みたいなものではないでしょうか。

ゾンビ殺しとトゥインキー探し(Twinkie, あの何年も腐りそうにないケミカル全開のクリーム入りスポンジケーキ。『WALL・E/ウォーリー』では29世紀まで腐ってなかったですね)に命をかける壊れ男を Woody Harrelson が。その男を平気で騙す姉妹も良いキャラ。主人公の青年が引きこもりのオタクというのも、よくありそうだけれどうまく性格を作ってました。

当然、いろんな有名な人も uncredited で出てるようですが、気づいたのは Bathroomzombie を演じていた John C. Reilly。よくこんなもんに出るなあ。えらい。その彼に喰われる Victim in Bathroom がこれまた uncredited で(当り前か)Mike White。

久しぶりに大笑いしたゾンビ映画でした。でも、まじめなことを考えてもしょうがない映画(誉め言葉です)にも見えますが、トゥインキーはじめ、マウンテン・デュー、ピザ、ハンバーガーなどの食べ物(特にそれらの商標登録名続出)、また遊園地、ハリウッド映画、カーレース、カーニバルなどのアメリカ的な「商品」を大量に画面に出し続けると、それがこうして面白く(あるいは不気味に)見えてくるというのも、監督の技なんでしょう。誰がやってもこうなるものではないと思う。


借りぐらしのアリエッティ
スタジオジブリ - 2010 - 94 min.
2010年9月10日 ユナイテッドシネマ8新潟
これはひどい。ふたつの意味で最低。ゴミ。以下、その理由少し。

ひとつめ。作品としてめちゃくちゃ。もう絵柄から動き方からストーリーから、混乱と手抜きとやっつけ外注の嵐。

画面について。たとえば最初の自動車のシーン。アニメ学校の卒業制作でも(おそらくは)こんな動きはないぞというくらいひどい。停車してアイドリングしているベンツが一体となったセル画(わかります?)が上下にゆっさゆっさ揺れているシーンを見て、これからこのレベルのアニメを90分見ないといけないのかと愕然とした。まともなシーンもあるにはあるが、ひどいシーンの頻出度合いが高い。そのたびに何かに引き戻される感覚。

設定について。翔(という名前も気に入らんが)だの、貞子だの、おハルさんだのという名前の日本人が住んでいる家(これがまためちゃくちゃな豪邸、というか「日本のいつの時代のどこにこんな腐った家があるんじゃ」状態)に、なんでアリエッティだの、ホミリーだの、ポッドだのというこましゃくれた名前のバタくさい顔の小人が住んで、平気で日本語をしゃべり倒すんだろう。普通はそれだけで大笑いするぞ。そのような設定をもし本当に作品として見せたいのなら、そのための芸を見せてほしい。

キャラクターについて。そもそもアリエッティがただの阿呆。お前の不注意(というよりは単なる考えなし。お前は白痴の猿か)のせいで、家族みんな不幸のどん底。あれだけ人間に見つかるなと言われているのに、なんで意味もなくわざわざ人間の前に出てうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろするかなあ。もしかして自殺願望の壊れ女か、こいつは。彼女の父も自分の考えを示すこともなくただ動いているだけ。母は感情を直接表現してわめくだけ。人間のほうもひどくて、主人公のガキはいきなりアリエッティら小人一族(つまりはマイノリティですね)に対して、「どうせおまえら、もうすぐ全員死んで滅んでいくんだよ、けけけ」(一部嘘あり。でも実質はこうだよねえ)と真顔でおっしゃる。あとから反省したふりをしてもねえ。家政婦のハルさんなんか、もうただのクズ女。小人でひと儲けしようという守銭奴、あるいは小人を標本にすることに命をかける殺人鬼にしか見えまへん。そんな鬼を家政婦に雇って何も感じない婆さんもまともな人間に見えるはずがないしねえ。映画を見ていて、声優が可哀想だとひたすら思ったことよ。こういう経験はそうそうあることではない。

ストーリーらしきものさえないこの映画。最初にアリエッティを喰おうとした猫が最後には一番思慮深く、良い人(猫?)でしたっていう展開はなんだろう。脚本、誰も直せなかったのかとも思うが、そりゃそうだよなあ。誰が書いているか考えたら、口出せるはずないよなあ。監督さえ直せなかったんだもんねえ。

ふたつめ。売り方がめちゃくちゃ。民放のみならず、天下のNHKまで抱き込んでTVドキュメンタリーを大量に(ほんと多かった。この夏、毎日どこかで「ジブリ密着!」みたいなものを流してたでしょ)作りまくり、それらのなかで作品の試写中に涙を流す宮崎駿の顔のアップ(あまりにアップで気色悪し)を暗視カメラ(っていうのか、あれは)で撮影したシーンさえ放送し、日本中の映画ファンに「これはいい映画だろう」と思わせ、プロデューサーは「うちは新人監督をメディアで売ったりすることはしないから」とキザに言いはなちながら、その当のドキュメンタリーで「プレッシャーに耐えながら良い映画を作り上げる新人監督」という像をばらまくことによってその新人芸人を売り出す、という、よーするにゴミみたいな、というよりはゴミそのもの。宣伝力だけでもうけようとする典型。えらいっ。よっ、(ブッシュ)大統領!

考えてみれば、これって宮崎以外の作品を売るときのジブリの得意技だった。痛い目にあっているはずだったのに。日本のアニメ(だけではなく、映画全体だったり、映像表現、あるいは娯楽産業全体だったり)を引っ張っていくべき人々がこういうことをして恥じることがない、という世の中だったということに今さらのように気づき、暗澹たる気持ちになりました。さすがジブリ。恥知らず。よっ、(レーガン)大統領! しつこいね、僕も。


越智の表ホームページへ
越智の裏ホームページへ