2009年に見た映画
これが米独合作というのがどうにも気持ち悪い。ナチス批判の形を借りてブッシュ批判をしているように見せかけて、実はそこのところにあまり意味はない。言いたいことがないのかなあ。マカロニ(スパゲッティ)・ウエスタンの良さというのは、当然そのノンポリさ(というか、ポリティカリー・インコレクトネスか?)にあるわけで、その様式を借りておきながら、なかば真剣(まじ)にも見えるテーマを語ってしまった所に無理がある。『戦略大作戦』や『特攻大作戦』のようなレベルを目指していたとしたら、いったい何が足りなかったんだろう。工夫か知性か。イデオロギーか。それからファンタジーの示し方はこういうものでいいのか。あのトム・クルーズもできんかったことをタランティーノがしている、ということ以上の作品ではない。
こうしてタランティーノの悪いところだけが前面に出てしまった感があります。『ジャッキー・ブラウン』みたいなの、また撮ってくれないかなあ。
感想とはいえないかもしれませんが、あるメーリングリストにこの2本の映画について書いた短文があるので、以下それを載せておきます。映画としてはよくできていると思います。さすがソダーバーグ、すごく面白く作っています。
ですが見終わった後、ゲバラの映画としてこれでいいのかという疑問が残りました。これがゲバラの映画でなければぜんぜん問題ないのですが、キューバ革命とゲバラを描いていて、ここまで現在と切り離されたものにしていいのかと思いました。現在、地球上のさまざまな地域で繰り広げられている悲惨な現実や、変革を希求する人々との連関がほとんど感じられませんでした。そういう同時代性こそがこういう映画では重要だと思いますが、本作にはその点が欠落しています。
この映画を見るちょっと前、ウィーン・フィル恒例の「ニューイヤー・コンサート」をテレビで見ていたら、今年の指揮者はバレンボイムでした。ゲバラと同じアルゼンチン生まれの彼(バレンボイムが14歳年下)は、コンサートの真っ最中に新年の挨拶として「今年が世界平和の年になりますように。そして中東で人間的な正義が行われますように。」と語りました。もちろんガザを念頭においてのことですが、こうした発言は、おめでたい新年コンサートでさえ、この2009年の現実と向かいあっているという認識のもとになされていると思います。この当事者意識の表明は、バレンボイム自身の「反イスラエル的ユダヤ人」という複雑な立場の表明とは別の次元で、とても感動的でした。
それに対して、ソダーバーグのゲバラ映画には現実との連関が希薄な印象をどうしても持ってしまいます。それ以外の部分はとても良くできているだけに、その根本的なところが気になりました。
以上、簡単ですが。
ロシア革命直前に死んだことになっているラスプーチンが実は生きていて、ヒトラーのために冥界から邪神を召喚しようとします。ところが連合軍のじゃまも入って、ちこっと失敗してしまい、予想外の変な赤い子供が現れてしまいました。ナチス崩壊後、米軍特殊部隊がその子をアメリカに持ち去り「ヘルボーイ」と名づけます。それを神秘学の先生が政府の特殊エージェントに育て上げ、彼は今も世界の平和を守っています。……という説明だと本当に馬鹿みたいな映画に感じられるでしょうが、100パーセントそのとおりです。でも(というかだからこそ)面白かった。これは実はパート2。前作は見る気もせんかったけど、こんどはけっこう期待して見に行きました。予告編の差かなあ。
で、このほとんど「デビルマン」みたいな映画、なにせ監督がギレルモ・デル・トロ。漆黒の悪夢「パンズ・ラビリンス」ほどではないけれど、あきません。そういえばこのトロさん、とうとう The Hobbit を監督するらしいです。これまた闇のようなトールキンになりそうで、期待大。
ちなみにこの映画のある部分で「ゴジラvsビオランテ」とそっくりなシーンが出てきました。いいのかあ? まあ、ああいうシチュエーションだとああいう画面になるしかないか。でも、さすがに東宝ビオランテと違って沢口靖子の生首が空中に浮かぶというほどのシュールな所はなかったけれど。あの生首、ほんとに怖かったなあ。
ということでぜんぜん感想になってません。でもそういう映画じゃないし。