2003年(11月以降) 映画評


というわけで9月に新潟に帰る。さすがに帰国後は忙しくて映画どころじゃない。が。



あたしンち
HIBAKUSHA 世界の終わりに
赤穂浪士
キル・ビル
マトリックス レボリューションズ
LEFT ALONE


あたしンち
「あたしンち」製作委員会 2003 - 95 min.
2003年12月28日 衣山シネマサンシャイン(松山市)
けらえいこにうらみはない。特に好きな漫画家といえないまでも、手にした雑誌に彼女の漫画があれば読んでしまう。幻冬社のPR誌『星星峡』に連載中の「お 母さんとイタリア」なんぞ愛読してます。でもこれは映画じゃなかった。腐りきった日本企業が人をだますことを目的に「製作委員会」をでっちあげ、ちょっと 金儲けしようと思った対象物でしかない。そのなれのはて。荒涼とした風景。枯死。

原価がいくらかわからない冷凍肉に真っ白になるまで化学調味料ぶっかけて焼いただけのものを「特撰和牛網焼きステーキ」などといいつつ平気で出す店がたまにあるじゃないですか。あんな感じかなあ。

だいたいこれは映画館のスクリーンにかけるようなアニメか? 画面ざらざら。人うごかず。テレビのアニメのほうが小さくて時間が短いぶん、苦痛もすくないぞ。ストーリーもなし。ぶつかったひょうしに母と娘の心が入れ替わるだあ? よくもそんな話を恥ずかしげもなく展開したなあ。それでもそれが面白ければ許そう。あの二人が入れ替わることで何を言いたかったんだろう。母娘の愛情ですか。家族の絆ですか。もしそうなら、映画のなかの登場人物のように二回くらい雷に打たれて来い。

言い訳のように最後にタイトルソングを歌った矢野顕子。せめて彼女にギャラをわたすとき「これは日本中の子どもたち(とその保護者)からまきあげた金の一部です。胸をはって受け取ってください」くらいは言ってほしい。

企業が金儲けするのは悪いことじゃない。当然のこと。みんな金儲けしようとしてるんだし。その話にアニメ作家が乗るのも悪いことじゃない。 そういう機会を利用しても作品を作ろうとするのは作家としても当然だ。しかしできたものがこれだと話は違ってくるだろう。まともな映画を作ろうとしてこれ なのか。そんなもん、はなから作るつもりはなかったんじゃないか。そこまで思わせるほどひどい。映画館に座っていた私には「どうせ年末の子供だまし。こん なもんまじめに作るほうが馬鹿だよ」という電波ばかりが金星から届いていました。

まじめに批評するような映画でもないが、ひとつだけ言いたい。あの「母」はあの造形だから面白いんだろう。それがこの『あたしンち』とい うマンガの最重要な部分じゃないか。それを母娘で精神を入れ替えてどうする。あの造形が女子高校生の内面と声をともなって動くだけで私は不愉快になりまし た。というより本当に気持ち悪くなりそうでした。勘弁してください。

久しぶりに帰省して、またまた親戚の子ども連れて見てきました。2年前のこういう機会のときは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総 攻撃』を見たのですが、今回、さすがに少年たちも2年分成長し「ゴジラ映画は嫌じゃ」となったんですね。そんでこの選択。彼らに責任はない。


HIBAKUSHA 世界の終わりに
グループ現代 2003 - 116 min.
2003年12月21日 NEXT21新潟市民プラザ
広島の原爆による被爆、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾によるイラクでの被爆、合衆国ワシントン州ハンフォード原子力施設での被 爆。その3ヶ所の記録。監督の鎌仲ひとみさんがインタビュアーもしつつ各地をまわる。広島で被爆した85歳の医師もハンフォードへ同行。このお医者さんの 肥田舜太郎さんの話し方、内容が実によく、映画全体の語り部のようにもなっている。映画の骨格のようにも見えてきます。映画って不思議だ。

どこの話も深刻で悲惨で出口はないのだけれど、そこはかとなく牧歌的な映画にも見えてくるのはこれがロードムービーの体裁をとっていたからか。

でも牧歌的といっても語られる内容はつらい。特にハンフォードがあるリッチランド市(なんだこの地名は)の話がつらかったなあ。ハンフォー ドの風上の人間は "upwinder" と呼ばれ、風下の人間は "downwinder" と呼ばれる。当然のように風下のほうが風上より荒涼として いる。癌患者も多い。同じ町のなかでこんなに気配が違うというのは、まあよくあることかもしれん。しかしその理由になっているのが核施設と風向き。悲しい よなあ。

真摯に作られたにもかかわらず、どこか軽やかにも感じられる映画でした。良いドキュメンタリーだと思います。


赤穂浪士
東映(京都撮影所) 1961 - 150 min.
2003年12月13日 シバタ文映(新発田市)
日本初のシネマスコープ・カラー作品『鳳城の花嫁』を1957年に作った東映。その東映創立10周年を記念する1961年の超大 作。これをでかいスクリーンで見られる日が来るとは思わなかった。当然のように本作もシネマスコープ。でも本当はシネマスコープではなく「東映スコープ」 と正式に呼ぶべきですね。とにかく横長画面。ながいながい。フィルムもきれいでキズもほとんどなし。新発田市のイベント「堀部安兵衛物語」の一環での無料 上映。本当にこんなもんをただで見て良いのか。すばらしい。人生、捨てたもんじゃないです。

映画のほうも小国英雄が一人で脚本を書いているのでつまらないはずがない。『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』など黒澤の多 くの脚本、脚色にも参加している小国は脚本を書き続けて50年。面白さ勝負の王道を行きます。どまんなか。なかには『宇宙人東京に現わる』なんて反戦・反 核SFもあって芸域の広い人でもあります。ちなみに『宇宙人東京に現わる』のパイラ星人のデザインは岡本太郎。そういう意味ではあれも映画史的に重要な作 品ではあるんでしょう。

その脚本を松田定次が監督。日本初のシネスコ『鳳城の花嫁』も松田作品。彼も典型的な職人・職業監督か。GHQが時代劇を禁止していた戦 後初期、じゃあ現代劇をということで新しい娯楽劇の様式を片岡千恵蔵らとともに大映京都でつくりあげた偉人。それらの傑作シリーズを場つなぎの娯楽映画に すぎないと馬鹿にした当時の永田雅一・大映社長の見識の低さよ。そりゃあ怒るよなあ、千恵蔵も。そんで1949年、アホ大映にあいそをつかした千恵蔵は松 田監督だけでなく、なんと市川右太衛門もいっしょに誘って東横映画(現・東映)に電撃移籍。こうして二人の「御大」を軸にした東映時代劇の黄金期が花開く わけですね。ざまあみろ、大映。永田雅一だって評価されてしかるべき映画人ではあるけれど。

その東映の10周年記念作品がこの「赤穂浪士」。全社をあげた作品。まちがいなく全盛期の傑作。でもほんとうのことを言うと東映は創立5 周年(1956年)のときもほぼ同じスタッフ、キャストで「赤穂浪士 天の巻・地の巻」を作っています。またこの2本のあいだの1958年にも「忠臣蔵  櫻花の巻・菊花の巻」をだいたい同じ顔ぶれで制作。千恵蔵、右太衛門の二枚看板以外の俳優の機嫌もとりやすいし、確実に客は入るし、作るほうも気合が入る わりに要領もわかっているし。東映としてもついつい頼ってしまったんでしょう。

当然のようにオールスターキャストです。ちょっと書くと……

大石内蔵助片岡千恵蔵
脇坂淡路守中村錦之助
浅野内匠頭大川橋蔵
堀部安兵衛東千代之介
上杉綱憲里見浩太郎
大石主税松方弘樹
立花左近大河内伝次郎
清水一角近衛十四郎
片岡源五右衛門山形勲
吉良上野介月形龍之介
堀田隼人大友柳太朗
千坂兵部市川右太衛門

すごいでしょ。東千代之介はロボット戦隊もののはしり『バトルフィーバーJ』で隊長だか長官だかを演じたので、そのてのファンには馴染み深い人。で もその千代之介も「童子もの」ほかで東映黄金時代を支えた偉人のひとり。『バトルフィーバーJ』を見たときにはそんな偉い人とは知らんかった。その千代之 介にロボット戦隊の長官役を依頼するほうも依頼するほうだが、引き受ける千代之介もすごいなあ。こういうところは東映の懐の深さか。浅さかもしれん。どっ ちにしても面白からいいか。

かつて見た『百面童子』の千代之介はえらくかっこよかったです。でもあの映画でもっとも印象に残るのは謎の怪人「ばてれん坊」を演じる吉 田義夫さん。あれ以降、映画などで吉田さんを見るたびに我が家では「あ、ばてれん坊だ」と(敬意の念をこめて)言われています。ちなみに『バトルフィー バーJ』で敵の女ボス(いい響きだなあ)を演じていたのは女子プロレスタッグ・ビューティペアのマキ上田さんでした。

上の一覧で千恵蔵と右太衛門を離して書いているのは礼儀からです。実際の映画の配役でも最初と最後に出てきます。こういう偉い人を近くに 並べて書いてはいけません。ちなみに、片岡千恵蔵を片岡「知恵蔵」と書いているものが昨今増えております。これも朝日新聞の罪のひとつですな。

もともと忠臣蔵は赤穂浪士側ばかり描いてしまうとどうしても非常に平板なストーリーになってしまうわけで、なんとか吉良側にも感情移入で きるキャラクターがほしい。そこで代々の脚本家、作家たちに利用されてきたのが千坂兵部。大佛次郎が小説『赤穂浪士』でちょっと時間軸をまげて強引に採用 したこの兵部。吉良上野介の長男、米沢藩主上杉綱憲に仕える筆頭家老です。彼は善人ながら、吉良側の作戦参謀になるわけですね。このキャラを得てやっと忠 臣蔵はバランスの取れた集団抗争劇として盛り上がる。これでなんとか御大二人の競演も可能になると。

それで千恵蔵が内蔵助を演じるのなら右太衛門は兵部を演じるしかありません。それ以外の配役は天地が裂けてもありえない。G・W・ブッ シュがイラク戦争に踏み切ったことを歴史のなかで謝罪することがあったとしても(ありえないか)、千恵蔵と右太衛門がスターとしての格を無視することなど 絶対にありえない。だから右太衛門が千坂兵部。

ところが本作ではこの内蔵助と兵部の関係を小国英雄がいっそう大胆に脚色。この二人はかつて親友だったと。いくらなんでもそれは無理だ よ、と驚きましたが、実際見ているとこれがまた良い具合に盛り上がっております。当然、両御大、同一スクリーンには一緒には現れません。一箇所だけとこと ん盛り上がるところでほんの3、4秒くらい。あれだってもしかしたら合成じゃないかと思うほど。しかし、その数秒でも見ている側は引き込まれる。

内蔵助のほうはかっこいいのがわかっているわけだから、どちらかというと右太衛門の兵部のキャラクターに新機軸があるかなあ。原作の小説 のほうでは大佛次郎が猫マニアとして兵部を描き成功していますが、この映画でもいろいろ工夫はあります。病気にしてみせたり、娘を描いたり。でもなんと いっても内蔵助に脇差を贈っていたというのが妙技である。病気で寝ている兵部が寝言で「この脇差をお前にやろうな……むにゃむにゃ……」ってなことを言っ ているその夜の同時刻、赤穂城明け渡しを前にした内蔵助がその脇差を前に置き、腕組みをしたまま沈思黙考、明け方まで来し方行く末を考え抜く。いいシーン だったなあ。

内蔵助が世間をあざむくため京都山科でどんちゃん騒ぎをするシーン。造花で作った満開の桜の木の下、わっはっはっはっはっはと哄笑しつ つ、芸者はべらせ、はしご段に登って花びらばらまく千恵蔵内蔵助。信じられないくらい派手なセット。大量の踊る舞妓さん。日本映画界に金がうなっていた頃 の話ですね。そしてまたその山科の馬鹿騒ぎについて部下から聞き、内蔵助の真意を即座に見抜く兵部。低く唸る右太衛門。これも御大二人の名シーンでござい ました。

東映全盛期、二人の御大以外にもスターはたくさんいます。彼らのためにもいろいろ役を作っているんで、なんか変な話にもなっています。 しょうがないですね。たとえば大友柳太朗もすっごくとってつけたような役。浪人堀田隼人。これも大佛次郎が創作したもの。原作でのすごく良い役どころも、 2時間半の映画で描くには無理大有り。でも大友柳太朗、かっこいいです。残念ながら自死という道を選ばれましたが、いま見ても貫禄があってとても立派な俳 優さんです。合掌。

と少し暗くもなりますが、この映画のなかで演技する人たちはみんな輝き、それで倍加される映画の圧倒的面白さ。たとえば「大石東下り」の 段。日野家用人立花左近になりすまして江戸を目指す大石内蔵助とその一行。ところが名古屋か三島の宿あたりで、その立花左近本人と同宿してしまう。どう やってこの危機を脱するか。これは「仮名手本忠臣蔵」にはなく他の小芝居あるいは映画などで追加された名シーン。もともとは牧野省三のアイディアだとか諸 説あるみたいです。ま、そんなこともどうでもいいことで、本編におけるこのシーン。すごい。立花左近を演じる大河内伝次郎と内蔵助を演じる千恵蔵がまった くまばたきもせず「目ん玉」だけで演技します。この間、ほぼ1分くらいかな。圧巻という表現はこういう場のためにあるのか。この時期の大俳優はみんな眼力 (まなこぢから)で演技しているのかと思うほどです。

他にもロシア重戦車軍団的重厚長大名場面続出。内蔵助が赤穂の藩士たちを前に内匠頭の辞世の句を詠み上げ、みんなで泣くシーン。こっちも泣いて良いのか笑うべきなのか、迷うほどの重い迫力で、これも圧倒されましたです。

山形勲演じる片岡源五右衛門が切腹前の内匠頭に別れの挨拶をするシーン。これもうまく撮ってるなあと感じさせないほどでございました。

錦之助、橋蔵たちも期待された人物像を派手に演じまくり。言うことないです。

討入りの場面も代々続く演出の約束事を守りながらも面白く見せます。松田監督は異母兄マキノ正博の演出をなぞっているように見せているところもあるけれど、このあたりは謎だなあ。映画史に詳しい人、誰か教えてください。

と、おもわず長文を書いてしまうほど堪能しました。こういう映画の上映を「堀部安兵衛物語」という自治体のイベントに組み入れる新発田市は えらい。来年はぜひ『血煙高田の馬場』(マキノ正博、稲垣浩共同監督版)をお願いしたい。今年も会場にはたくさんの人が入ってましたし、とてもよいことで はないでしょうか。ただ惜しむらくは若い人が少なかったこと。携帯電話で馬鹿話する暇があるんなら、こういう人類遺産的な映画を見に行けよ。なあ、青年。


キル・ビル
Kill Bill Vol.1, 2003 - USA - 107 min.
2003年11月18日 ワーナー・マイカル・シネマズ・新潟
邦題は『キル・ビル』ですが、原題は"Kill Bill Vol.1"。この違いは何でしょうか。この映画の日本語オフィシャル・サイトを見ると、宣伝担当プロデューサーはすごい人だそうです。そのプロデューサーについての紹介文が面白いんで引用すると……
今回、『キル・ビル』の宣伝プロデューサーとして早くからプロモーション企画に関わってきたのは、なんとテレビ、ラジオ、音楽プロデュース、本の執筆など幅広い分野で活躍しているプロデューサー、*****だったのだ。初公開のその全貌が、遂に明らかになる!
固有名詞出したくないので伏字にしてます。なんざんしょ、これは。この宣伝プロデューサー本人を宣伝してるのはいったい誰だということも気になりますが、 いつから映画配給会社はこうなってしまったんだろうと考え込んでしまう。メディア・ミックスやら、こんなことやらに金かけてなあ。以前、"Galaxy Quest"のところにも書いたけれど、こういう人たちは本当に映画が好きなんだろうか。

ま、そんな腐れ業界全体について考えるのも嫌なんで、適当に無視しますが、やはり問題なのは『キル・ビル』という邦題。やっぱりこれは詐欺だろう。「これは一本の映画の前半です」とどうしてタイトルで言わないんだろうか。宣伝プロデューサーを宣伝してる場合か。

Vol.1 が107分。Vol.2 が90分。足して197分。作っていたら長くなったんで半分ずつ公開しますってのは、そりゃあこっちからすれば二倍の映画代を払わないといけないので腹も 立つ。しかし制作会社としては一日あたりの上映回数も減るし、今の映画ファンに3時間座らせておくのも面倒だし、半分ずつ公開ねという判断は「あり」だろ う。映画会社だって慈善事業やってんじゃないんだし。

しかしそれならそうと配給会社ははっきり書くべきだろう、タイトルに。全盛期の東映だったら『ビルを殺せ!天の巻・地の巻』とか『殺し屋花嫁 菊花編・櫻花編』とか『殺しのブライド 修羅雪姫の段・恩讐惨殺の段』とかつけてでも客を呼んでると思うぞ。やってないか。

雑誌などのメディア(の一部)では前半だと紹介していると配給会社はいうかもしれない。しかしそういうものを映画を見る前に読むことをあなたたちは一般人全員に要求するのか。

これは前半部分だけだということを知っていた僕でも、ポスターや雑誌などで『キル・ビル』としかタイトルに表記されてないことに腹が立つ。 何も知らないで見に行った人はどう思うんだろうか。そんな人はいないのか、本当に。でもこんなことしてるから映画に行く人がいっそう減るんだよ。

映画としてはこの作品、面白かったです。頭のネジを2・3本抜いて見たら、けっこう楽しめるんじゃないでしょうか。こんなもん、まじめに 見て怒ってもしょうがない。Tarantino だしね。Uma Thurman も Sonny Chiba もかっこいいです。Vol.2 の Michael Madsen にも期待大。


マトリックス レボリューションズ
The Matrix Revolutions, 2003 - USA - 128 min.
2003年11月16日 ユナイテッドシネマ8新潟

マスメディアの映画評などではあまりにひどいということだったんで、期待せずに行ったのだけれど、そんなにひどいかな あ。つまらん映画ではあるが、そのつまらなさは前2作とたいしてそう違わんぞ。1作目、2作目をほめたんなら、これもほめるべきじゃないか。私は全部あま り好きじゃないが。

確かにエンディングはこれはないよなあというもんだし、CG使いすぎで画面もちゃち。2作目のようなアクションもなし。愛だの選択だの必然だの偶 然だの、どうでもよい台詞も多し。でもこんなもんだろう。ことさらに3作目だけをけなしている人たちは、1作目や2作目の何を評価してたんだろうか。不思 議である。

ちなみに映画館まで一緒に行った妻はこれじゃなくて"Callas Forever"を見に行きました。そっちのほうが正解だったかなあ。Zeffirelli だし。

どうでもいいことだけど、途中でなんとなく Paul Verhoeven の"Starship Troopers"を見てるような気分になったのだけれど、あれはどうしてだったんだろう。殺戮SF劇だからか。でもそれだけじゃない気もする。

もっと言えば、アメリカのSF作家や日本の漫画家のなかで、自分の作品が剽窃されたとこの映画を訴えるのはいないんだろうか。サイバーパン ク系の作家たちはやさしいなあ。大友克洋や内田美奈子なんかも訴えていいと思うぞ。特に内田の『ブーム・タウン』なんぞは完全にぱくられとるんじゃない か。しかしその前に内田美奈子はアラン・ムーアを訴えるべきかもしれん。人物造形だけかもしれないけれど"Top Ten"はとても内田の世界に似ている。


LEFT ALONE
監督:井土紀州 150 min.
2003年11月2日 新潟大学総合研究棟B255教室
あまりコメントすることはないけれど、あそこでしゃべっている西部邁に感動してしまう人は一度じっくりと自分自身の…略…について…略…という側面から考え直したほうがいいんじゃないだろうか。

全体としては、とにかく長い。でも津村喬がかっこよかったです。柄谷行人と松田政男については略。主人公(といっていいですか?)スガ秀実についても略。コメントしたくない。ぜんぜん「評」になってないすね。スマソ。


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