1998年に見た映画


見た順に下から書いてます。ただ、年のはじめのほうに見た映画を後から書き足したり、それぞれの映画の感想も、いったん書いてからまた書き足していたりするので、ときどき下の方から読み直してやってほしいです。

こうやって見ると、当たりだったのかはずれだったのか良くわからない年です。あんまり順番をつけるのは好きじゃないけど、はずれの代表は間違いなく『萌の朱雀』。はずれの次点が『エンド・オブ・バイオレンス』と『ドーベルマン』。特に前者の方はヴェンダースだっただけに期待したけど、もう彼は映画が撮れないんじゃないかと思わせるほどひどかった。


エンド・オブ・バイオレンス
十三人の刺客
祝祭
ゴジラ
がんばっていきまっしょい
LAコンフィデンシャル
ドーベルマン
ブルースブラザース2000
ジャッキー・ブラウン
遥か、西夏へ
エイリアン4
ブラス!
フル・モンティ
萌の朱雀
天安門
ピョンヤン・ダイアリー 1994-1997
愛しのタチアナ
コーリャ愛のプラハ



エンド・オブ・バイオレンス
The End of Violence, 1997 - USA / France - 122 min.

1998年11月27日、新潟市民映画館シネ・ウインド

この映画のつまらなさはいったい何なのだろう。と、気障に書いてしまうほどつまらなかったぜ。思い出すのも嫌。ヴェンダースは、昔からあたりはずれの大きい監督だったけど、これほどのものはなあ。

ただ、Bill Pullman はなかなか良い。このおっさん、確か『ID4』で "It's our Independence Day !"って能天気に叫んでF−15を操縦していたアメリカ合衆国大統領なんでしょうが、その人がヴェンダースの映画に出るんですから、世の中、異なものでございます。けど、正直言うと『ID4』での彼も嫌いじゃない。あの映画のなかに関して言えば、Will Smith や Jeff Goldblum よりも良かったんじゃないだろうか。

それから、Udo Kier も出てます。映画監督役。渋い。かっこいい。彼は、世紀の傑作『奇跡の海』とおんなじ顔して出てくるんで、そのうちこいつぶちきれてそこらじゅうの人間全部殺しはじめるんじゃないかと、とても恐かったけど、今回はそれほどでもありませんでした。

その Udo Kier が撮っている映画のセットが、エドワード・ホッパーの有名な " Nighthawks " という絵画そのまんまで、あのシーンは良ございました。そう言えば、この絵をホッパーは第二次世界大戦中に描いているわけで、こんなもん戦争している最中に描く絵じゃないぜとも思うが、こんな絵を戦争中に描いている国は戦争には負けないんだろうなあという気もする。

ということで、タイトルには『暴力』とか入れておきながら、間抜けな画面でロス・エンジェルスを撮りつつ、しかし Udo Kier の顔面の迫力にも及ばなかったという、ヴェンダース、自分のキャリアをつぶしかねない大駄作でありました。


十三人の刺客
1963 - 東映京都撮影所 - 125min.

1998年11月23日、新潟市民映画館シネ・ウインド

いやあ、人間長生きするものです。新潟の映画館「シネ・ウインド」の13周年記念上映でこの傑作を久しぶりにスクリーンで楽しめるだけでなく、監督の工藤栄一本人のお話しまで聞ける。これは行かねばなるまいっ。ということで行きましたですよ。監督のトークの後、夕方の4時頃に映画館を出たら、なんと監督本人が暇そうに立っているじゃないですか。監督を新潟に呼んだ方々(中心になっていたのは「片岡千恵蔵を愛する会」の人たちかな)は6時30分から宴会を予定していたそうで、それまでは何の予定もないと。それで監督に「ちょこっとビールでも」と聞いてみたら、「はいはい」ということで、千恵蔵を愛する会の会長とわしら夫婦と監督の4人で映画館の近くの「エチゴ・ビール・ブルーメ」に行って、世界でもっともうまい(と僕は思う)スタウトを飲みながら工藤栄一と映画について雑談するということになりました。これを身の僥倖と言わずしてなんというべきか。

工藤監督の話はおもしろかったですね。特に企画がぽしゃった映画の話が一番おもしろかった。これは考えてみればあたりまえですな。監督としても、商品として出来上がったものより、出来上がらなかったもののほうが、思い入れもあるだろうし。その「未だ見ぬ傑作」について身振り手振りを交えながら説明する工藤栄一。ビールもがんがんなくなり、あっという間に2時間以上が過ぎていました。6時30分からの会にも参加させてもらって、結局11時30分ころまで、飲んで騒いで、いやあ楽しい一夜でございました。

どうだ、石田淳。うらやましいだろう。わしら夫婦は「東映の宝・工藤栄一」とビールをしこたま飲んだぞ。うけけ。

シネ・ウインドの関係者の皆様、突然押しかけて行って、好き放題しゃべりまくった我々夫婦をどうかお許しください。本当に楽しゅうございました。工藤監督、遅くまで遊んでくれて、どうもありがとうございました。

それで、『十三人の刺客』についてですけれども、もうこれは文句なく傑作なわけですね。これを見ずして日本映画を語ってはいけない映画の1本です。で、どういう映画かというと、

 片岡千恵蔵は巌のように強靭な精神を見せ、
 月形龍之介は渋く枯れつつも一等大事な役を演じ、
 内田良平は文句なしの男の生き様をスクリーンに叩きつけ、
 嵐寛寿郎は役者人生最後の殺陣(これが異常にかっこよい)を軽々とこなし、
 里見浩太郎は粋なにいさんだけれど、やるときゃやるよ、と凄み、
 丹波哲郎は悪魔のごとく冷静に天下の御政道を案じ、
 藤純子と山城新伍はこのころ君らは若かったのねという演技を披露し、
 西村晃は生きる凶器のごとくひたすら敵を殺し続ける、

というものです。どうです? 見たくなってきたでしょう。

ちなみに、工藤監督には本当にいろんなことを聞いて、いろんなことを答えてもらったのですが、この映画の月形龍之介のかつらのちょんまげについて、それから『影の軍団・服部半蔵』の緒形拳のプロテクター(と言うしかないよな、あれは)について、この二つについての監督の説明も映画ファンとして心に残るものでありました---って、そんなに言うのなら、もったいぶらずに書けよ、という方も多いでしょうが、長くなりそうなので、機会があれば、またいずれ。


祝祭
(ハングルわからん、ごめん)1996 - Korea - 102 min.

1998年10月11日、新潟市民プラザ

監督は林權澤(イム・グォンテク)で、主演が安聖基(アン・ソンギ)。このアン・ソンギ、小栗康平の『眠る男』なんかにも出てるんで、こりゃあ、本格派の偉い俳優さんかと思っていたら、昔、見て大笑いした『謎の外人球団』のコーチ役をやっていたおっさんでもある。韓国通の友人にきいたら、とにかくこのアン・ソンギは映画を選ばない人だそうで、パリ帰りの天才美容師<ミッシエル・パク>なんつう役を演じたりするほどフットワークは軽いらしい。少しは仕事選べよ。

でも、この映画は良い。とある小説家の母親が死んで、その母が住んでいた田舎で葬式をするという話。そうなると、ほとんどの日本人は伊丹の『お葬式』と比べるだろうけれど、伊丹の映画よりは遥かに面白かった。伊丹の映画を一度も良いと思ったことがないということは、私の自慢のひとつですが、伊丹のあんなゴミ映画と比べたりしたら、この韓国映画に失礼です。

韓国の伝統的なお葬式の詳細がわかって面白いけれど、それはこの映画の価値とは関係ないような気もする。なによりも、この葬式に出てくる人の人間関係や人生観がいろいろと丁寧、かつ面白く真摯に描かれているというのが良い。伊丹映画にあった不愉快さがこっちにはないです。

これは 10月3日〜11日のあいだ、新潟市であった「韓国フェスティバル」での上映。いろんなイベントがあって良かったけれど、金かけて黒田福美を呼んで講演会するくらいなら、もっと別のイベントを考えても良かったんではないかなあ。

ま、これも2002年のワールドカップ・サッカーが日韓共催となって、その開催地の一つが新潟市となったことに関連した催しだから、最初からまともな日韓交流とは思えないふしもあるし。だいたい、どういう基準で開催地を選んだかというのは、やっぱり土建屋がどれくらいの金をふんだくってきてサッカー場をつくれるかということに関わっていたんだろうしなあ。そんで、このフェスティバルのメインとして「『芸能界きっての韓国通』と言われる俳優・黒田福美さん」を呼びましたって、いったいどこが「市民参加型のイベント」なんだ。え、こら。

ただで映画も見させてもらっておいて文句は言っちゃいけないかもしれないけれど、やっぱりこういうイベントも、もっとまじめに考えてやるべきだ。実際、なかには面白いものもあった。「新潟韓国舞踊団」と「新潟和太鼓研究会」のジョイント・ステージはにぎやかで良かったし、韓国語のスピーチ・コンテストなんかも良い企画だと思う。どうしてそのような傾向のものを継続して開催しないのか。

結局、電通や博報堂なんかの広告代理店の奴等にまかせたらこうなるっていう例かなあ。新潟県がやっている「アジアなんとか」もひどいもんなあ。はい、アジアだったらアグネス・チャンと平山郁夫ね。はい、ギャラ100万円ずつね...って、いいかげんにしろよなあ。本当は100万かどうか知らんけど、そんなもんだろう。結局、市民の税金が電通みたいな会社のアホ社員が適当にでっちあげた計画を通じてどぶに捨てられてるようなもんじゃないかあ。あんなゴミみたいな広告代理店ばっかり喜ばして。どうすんだ、いったい。

久しぶりに怒ってしまったぜ。映画が良かっただけに、そのまわりの空気が気に入らんかったんでしょうか。電通や博報堂がくいものにしている他の地方自治体のイベントに比べればまだましだったとも思うけど。


ゴジラ GODZILLA
Godzilla, 1998 - USA - 138 min.

1998年8月27日、新潟万代東宝プラザ

ゴジラと思わなければ面白いんだろうなあ。でかいトカゲがニューヨークを襲う。それだけ。でも、普通のSF映画としてもそれほど面白くもないか。なんといっても、怪獣映画特有のわくわく感がないもんなあ。ゴジラが人間にもらったマグロを嬉しそうにパクパク食べたらいかんです。他にも、いらないシーンは多いし、いらないキャラクターは出るし。ゴジラの子どものシーンなんか全部いらんぞ。せっかくでかい化け物をどーんと登場させておいて、映画のど真ん中でちまちました『ジュラシック・パーク』みたいなシーンを置かなくてもいいだろうになあ。

それに実際のニュース番組の現場なんてのはアメリカではもっと悲惨だろう。フランス人も出てくるが、国家としてのフランスが自分たちの利益を守るためにやっていることなんか、もっともっともっと悲惨で、非人道的だぜっ。けっ。

この金だけかけた失敗作に見るべきところがあるとすれば、やっぱり『ゴジラ』という日本を代表する名画の本質(がどんなものかは別にして)は、アメリカの映画人にはまったく伝わってなかったということか。いや、これまでの東宝のスタッフだって、おそらく1954年の『ゴジラ』の価値をわかってないんだろうなあ。


がんばっていきまっしょい
1998 - フジテレビジョン・ポニーキャニオン・アルタミラピクチャーズ - 120 min.

1998年8月6日、松山シネマサンシャイン

良い映画。製作に身内が絡んでいるだけに客観的な評価を下すことができるかどうか不安だったけれど、はっきり言って、丁寧に作られた良い映画です。泣きはしなかったけれど、それがまたこの映画を良くしている。お涙頂戴にしてないところが淡々としてて良。演出もわかりやすくて良。わけのわからないシーンでごまかす阿呆監督が多い昨今、こういう画面だと映画の感興も伝わりやすい。さすが磯村監督。オールロケなのに台詞も聞き取りやすくて良。録音がうまいのかしらん。リーチェの音楽、特に主題歌が良。私はこの夏、地味な仕事を部屋でしながら、ずっとこのCDを聴いてました。

ただ一点だけ文句を言うと、やっぱり僕はあのコーチはミスキャストだと思う。まるで『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』のミッキー・ロークみたいに場違いだもんなあ。

それに比べると白竜、大杉漣あたりはとても画面になじんでいて良。体育教師を演じている方(名前失念、ごめんなさい)は、本当に愛媛の体育教師みたいで特に良。数学教師の有薗芳記はうまい俳優さんなんだろうけど、第三エロチカの舞台を思い出して不可。思い出しても嫌な劇団だったなあ、あれは。やっぱりあの時代の演劇バブルの象徴は第三エロチカだよなあ。

田中麗奈以下、ボート部のメンバーを演じている皆さんもとても良いのですが、特に真野きりなが印象に残る。これからも、がんばってください。

ちなみに、久しぶりに実家のある松山で映画を見ました。試写会だったけど。


LAコンフィデンシャル
L.A. Confidential, 1997 - USA - 136 min.

1998年8月3日、新潟シネ・ウィンド

いやあ、面白いっす。2時間以上の地味な話しを退屈もさせずにまとめ、基本的には台詞劇で盛り上げる。原作はジェイムズ・エルロイ。舞台は1950年代初頭のLA。コーヒーショップで客と店員の全員が殺されるという事件が起こり、その謎を解くという映画。しかしそのプロットの中に、刑事の野望、同僚間の確執があり、他にも殺人事件は続出し、ついでにトラウマに追われる人格破綻あり、恋愛もありで、まあ簡単な映画ではないわけですね。

監督の Curtis Hanson は The River Wild でも The Hand That Rocks the Cradle でも、そこそこ話ををまとめて、あとは俳優にまかす、って感じがあったけれど、本作はもう少ししっかりと作っています。

とはいえ、やはり俳優陣もエネルギー全開。いったい誰が主演なのかわからんが(とか書くと、誰が生き残るかわからなくて、まだ見てない人はスリリングでしょ)、えらい気合の入った演技をみんなが見せ、ほとんど集団劇ですな、こりゃ。多分、Kevin Spacey、Russell Crowe、Guy Pearce、Kim Basinger、Danny De Vito あたりが主演級ということになるんだろうけれど、この映画に関する限り、僕はこの順番で好きでした。特に Kevin Spacey、実に良いです。

でも、本当の主演って「ロロ・トマッシ」だよなあ。あ、言っちゃった。←でも、これは「ネタばれ」じゃないよ。

それから、ちょっとまじめにこの映画のテーマを考えてみると、それは巷間言われているように「正義」なんだろうか。確かに「何が正義か」ということも含まれるかもしれないけれど、中心的な問題は、どうすれば「正義と各々が考える秩序」を維持できるのか、そのための具体的方法をめぐって話は展開してるんじゃないでしょうか。もっと正確に言えば、その功利性、効率性の問題かなあ。そういう意味では、これはまさしく政治学の問題であって、結果責任と倫理責任を峻別する能力をめぐる事柄でもあるかと思う。そういう意味で、とある登場人物が下した決断は、私には非常に納得のいくものでありました。 ま、映画自体はそんなこととも関係なく楽しめるけど。とまれ、このあたりの問題をもう少し別の形でわかりやすく書いたものに、高畠通敏『政治学への道案内』(三一書房)の「はじめに」があります。こっちはジェイムズ・エルロイじゃなくて、トマス・フラナガンだけど。


ドーベルマン
Dobermann, 1997 - France - 103 min.

1998年6月28日、新潟シネ・ウィンド

期待してたんだけどなあ、ヤン・クーネン。これ一作で有名になったみただからえらい面白いのかと思ったら、おもいっきりはずれてやんの。この監督がどういう人か知りたければ、 彼のHP でも覗いてみてやってください。こっちは結構よくできてて、短編映画なんかも見せてくれる。英語にもいくらかは対応しております。

そんで、この映画なんだけれども、やっぱりかっこつけるだけじゃ映画は面白くならないってことだろうか。なんか盛り上がりもないんだよなあ。自意識過剰な演出家が率いているアングラ劇団に、かっこいいけれど演技は下手な俳優たちがいたとしなさい。その劇団が雰囲気だけでひっぱるような芝居を公演して、それを無理に見せられたような後味の悪さが残る。『ストリート・オブ・ファイヤー』なんかの活劇さは欲しい、とか言うと欲張りすぎかぁ。Vincent Cassel とか チェッキー・カリョ(フォントがないと名前の正確な文字が表示できん)とか、かっこいい俳優も出てるんだけれど。なにせリズムが悪い。残酷だと言われていたシーンもそれほどでもない。確かにグロだけれどそれだけなんだよなあ。もう少しひねってくれよ。「フランスのエスプリ」ってのはどこにいったんだ。はっきり言って漫画の『ドーベルマン刑事』や懐かしのB級映画『ドーベルマン・ギャング』のわくわく度にも負けてますね。

ちなみにこのカリョさん、怒涛のように出演作があります。ジャン・ジャック・アノーの『小熊物語』やリュック・ベッソンの『ニキータ』あたりから出演作が爆発して、1995年なんぞは Bad Boys, Operation Dumbo Drop, Goldeneye など6本。これだけで節操のなさはよくわかるけれど、なんとこの年にはカナダ・フランス合作の『クライング・フリーマン』にまで出とるんですな。本当にどこにでも出て。あんたは役所広司か、安聖基か。


ブルース・ブラザース2000
Blues Brothers 2000, 1998 - USA - 123 min.

1998年5月31日、新潟ピカデリー

当然、前作(1980)に比べると艶も色も落ちる。華もない。けど、いいのよ、これで。最初の献辞も良いし。

昔、テレビの特番のインタビューで、ダン・エイクロイド(正確には Elwood Blues だよなあ、ここは)が、「確かに俺たちは歌もうまくなければ、ハープもへただ。でも、俺たちには華がある」って、かっこよく言い切っていたのに。この映画にはないっす、華が。確かにジョン・グッドマンもジョー・モートンもがんばってはいる。だけど、ついついベルーシと比べてしまう、この悲しさよ。ちなみに、このジョー・モートン、80年代なかごろ以降、いろんなところで見るようになった売れっ子黒人俳優ですが、フィルモグラフィーを見ると、アラン・ルドルフやらジョン・セイルズやら、癖の強い監督にも好かれてるんですなあ。そういうラインで考えれば、彼の代表作は "Forever Young" や "Terminator 2: Judgment Day" あたりではなくて、やっぱり "The Brother from Another Planet" とか "Trouble in Mind" あたりだぜ。あ、"Crossroads" にも出てたんだったなあ。いやあ、芸域の広い人だ。

華がない、とかいいながらも、まったく退屈しない映画になっているあたり、腐ってもジョン・ランディス(ファンの人、ごめんね)。ただし、これだけは言っておきたいが、子供を安易に使うのは好きになれんぞ。アメリカ映画を最終的に駄目にするのは、ディズニーでもチャック・ノリスでも、悪しきオリエンタリズムでもなくて、やっぱり子供と動物だろう。

ま、そんなことなんか気にしないでも、単純に楽しめます。うじゃうじゃと出るゲストもすごい。ま、少々ばらしても映画の感興がそがれるというものでもないでしょうし、ちょこっとばらすと----まず、怪演の Erykah Badu を筆頭に、James Brown, Eric Clapton, Clarence Clemons, Bo Diddley, Eddie Floyd, Aretha Franklin, Isaac Hayes, Dr. John, B.B. King, Sam Moore, Wilson Pickett, Billy Preston, Lou Rawls, Koko Taylor, Junior Wells, Stevie Winwood ----というあたりが怒涛のように出てきます。それほど黒人音楽に詳しくない僕あたりでも誰がどこに出るのか見つけるだけで、結構楽しめたので、ブルーズファンならもっと楽しめるのではないでしょうか。

映画ファンとして個人的に「うけけ」と笑ったのは、Frank Oz と Kathleen Freeman でした。この二人は前作と同じ役(両方とも出世しとるけど)で出ます。まあ、笑ってくれ。うかつにも私はこれまで知らんかったが、Kathleen Freeman が演じた役名は Mother Mary Stigmata だったんですね。すごいな。それから、前作で観客をびっくりさせた Steven Spielberg と Twiggy。残念ながら、本作では見つけられませんでした。誰か、見つけたか? 見つけた人はメイルください。ジョン・ランディス本人も教会でいきなりエルウッドの横に座ってたりします。


ジャッキー・ブラウン
Jackie Brown, 1997 - USA - 155 min.

1998年5月16日、新潟シネマ3

タランティーノの新作。『パルプ・フィクション』以降のタランティーノのインタビューや、マス・メディアでの露出具合、特にシカゴに住んでいたころに見た『サタデー・ナイト・ライブ』の最低のホスト役などから、新作の出来はちょっと不安だった。が、なんのなんの、面白い。『パルプ・フィクション』よりもよくできてると思う。とはいえタランティーノの基本は台詞と音楽の使い方。そのあたりは変わりません。今回は70年代ソウルファン必見。でもジョニー・キャッシュも使われているぞ。台詞に関しては、妻に言わせるとあの「のり」はタランティーノではなくて原作のエルモア・レナードだそうである。よくわからんが。その台詞で特に面白かったのは、とある殺人(未見の人のためにあえて秘す)についてデ・ニーロがサミュエル・ジャクソンに説明する車中のシーン。

この映画の主役のパム・グリアーはただひたすらかっこよろしい。『マーズ・アタック!』でも良かったが、今回はそれ以上。『グロリア』のジーナ・ローランズみたい。

それにしてもこの映画を土曜の夕方見たにもかかわらず、やっぱり映画館は空いていたなあ。いいんだろうか、こんなことで。


遥か、西夏へ
西夏路迢迢, The Journey to Xia Empire, 1997 - 西安映画製作所・中広西部国際影視有限責任公司 - 99 min.

1998年5月4日新潟シネ・ウィンド「中国映画祭」

香港や上海、北京ではなくて、西安の公司が作った映画。そんでもって舞台が十一世紀の中国西部。タングート族の西夏、契丹族の遼、漢族の宋が入り乱れてめちゃくちゃ状態。そんななか無謀にも西夏の王は、西夏の都から千里離れた漢族の福臨村から税として10人の男の子を取り立てて来いと、首領(という地位があるんですね。西夏の軍隊には)の野利狐(イリャーフ)に命令を下します。ほんで、そのイリャーフが10人のガキを馬で西夏までひっさらってくるわけです。そういう意味ではこれもロード・ムービーかな。

10人さらったと思っていたら、1人忘れてしまうイリャーフ。困ったあげく、妊婦を一人誘拐してきます。その妊婦は男の子を産み、子供も10人そろったんで、彼女を残して逃げ帰るイリャーフたち。ところが、彼女がまるで「怪力の母 (C)平田弘史」。この力強いお母さんが『ヒッチャー』のルトガー・ハウアーもかくやという感じで、どこまでもイリャーフたちを追っかけてきます。ま、子供さらわれたんだからあたりまえか。よくあるパターンで彼女とイリャーフたちは次第に心が通いあうようになります。そうこうしつつも、子供は熱を出すわ、契丹族は襲ってくるわで、さあ、大変。西夏には無事たどり着けるのか。

ストーリーも面白いし、画面もきれい。さすが騎馬民族だけあって、馬についてのエピソードの使い方もうまい。それに、本当にタングート系の人たちを役者として出演させることができるあたり、西安映画製作所の面目躍如。ちゃんと製作者のメッセージも込められ、しっかりとした活劇でありました。このような映画が見えるのもシネ・ウィンドのおかげである。謝謝。


エイリアン4
Alien Resurrection, 1997 - USA - 108 min.

1998年4月27日、新潟東宝プラザ

『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』の監督コンビのかたわれ、Jean-Pierre Jeunetがおもいっきし勝手に撮った『エイリアン』シリーズ4作目。全編ぐじゃぐじゃ、ねちょねちょ、べよべよ、どろどろの中、かわいい Winona Ryder が呆けをかましまくり、異常に強い Sigourney Weaver が自分の存在に悩みつつ殺戮の限りをつくす---って書いたら、映画の中身とは違ってしまうか。しかし Sigourney Weaver は、ほとんど「ヴァーチャ・ファイター」のサラ・ブライアント状態。そういえば見てくれも似てる。こんな強いねーちゃんにいったい誰が勝てるか。そんなリプリー元中尉に挑むエイリアンも無謀ではあるが、彼らも知能指数が上がっている。そんなのがうじゃうじゃ出てきて、多いわ強いわ賢いわ。どないせーちゅうのじゃ。すでにいくつものタイプのエイリアンが登場してきたが、本作では「あの」タイプも復活。恐いぞ。他にもフィギャア・マニアがついつい耐水ペーパーと塗料を買いに走りたくなるようなオブジェ続出。シンナー中毒に気をつけろ。ちなみに Winona Ryder が酔っ払うシーンはマニア(って何のマニアだ)は泣いて喜びそうだなあ。

宇宙海賊(って書くと岩崎書店の「少年SFシリーズ」みたいで少し間抜けだけど)のボス、エルジンを演じたマイケル・ウィンコットがかっこいい。彼もいかにも売れそうな俳優だけれど、映画ファンの間では既に人気者なんだろうか。『バスキア』とか、"Dead Man" とか、"Romeo Is Bleeding" とか、マニア受けしそうな映画ばっかに出とるが。

そんなこととは、ぜんぜん関係ないけれど、かつて『スクリーン』と『ロードショー』の最初のページの人気投票でアラン・ドロンとブルース・リーが1位を競っていた時代がありましたなあ。懐かしい。まだ、ああいう雑誌は同じ企画をやってんだろうか。


ブラス!
Brassed Off, 1996 - UK - 109 min.

1998年4月25日、新潟シネ・ウィンド

スピールバーグの『ロスト・ワールド』で奇怪な恐竜ハンターを演じた Pete Postlethwaite が、閉山目前の炭坑町で由緒あるブラスバンドのリーダーとなっている。彼の渋い顔を見るだけでも満足する映画。とか言っているが、私は泣いた。こんな映画で泣いてはいかん、と思っていても、やっぱり泣いた。サッチャー元首相、あなたは鬼だ。ちなみに Pete Postlethwaite は『エイリアン3』にも出てたんですね。知らんかった。

この映画にも『トレイン・スポッティング』のイアン・マクレガーが出とりましたな。やっぱり『トレイン・スポッティング』というのはイギリス映画史に残る重要な作品なのかなあ。そう言えば、このマクレガー青年、『スター・ウォーズ』の新作で若き日のオビ・ワンを演じることが決まっているそうです。でも、どのような人生を送れば、この好青年の顔がアレック・ギネスみたいな顔になるんだぁ、とか疑問に思っていたのだけれど、よく考えてみればオビ・ワンの人生って、本当にいろいろあったんだろうなあ。なあ、ルーク。


フル・モンティ
The Full Monty, 1997 - UK / USA - 91 min.

1998年3月27日、新潟シネ・ウィンド

失業したシェフィールドの鉄鋼労働者たちがストリップする話。監督はピーター・カッタネオで、主演がロバート・カーライル。それにしても、このカーライル、最近のイギリス映画界の売れっ子。日本でも『トレイン・スポッティング』以降、『カルラの歌』とか、いろんな映画が公開されている。本当は『カルラの歌』の方が先に作られたみたいだけど。彼は確かにかっこいい。トム・ウィルキンソンほか、脇役もみんな良いです。

でも、出口のない話ではある。泣けないぶん、『ブラス!』より、こっちの方が悲しい。良い映画だけど。


萌の朱雀
1997 - WOWOW,バンダイ・ビジュアル - 95 min.

1998年3月9日、新潟シネ・ウィンド

ごみ。97年のカンヌでカメラドール(新人監督賞)をとったそうだけれど、ごみはごみである。そもそも録音がひどくて台詞が聞き取れない。字幕があるカンヌだからストーリーが理解されたんだろう。けっ。日本語ができない奴等が審査員だったことを感謝しろ。そもそも、その台詞の内容自体も稚拙。時間の推移、人間関係がわかりにくい。「観客に自由に理解してもらう」というよりも、単にいい加減なストーリー構成なだけだろう、これは。家族構成さえ観客には伝わらんぞ、ぼけ。映画の半分過ぎたころで、「もう、どんな人間関係が披露されようが驚かんけんね。すべての登場人物(あの婆さんも含めて)が兄弟姉妹でもええぞ」と思い至った私は菩薩のような観客である。そうじゃなければスクリーンを焼いとる。

16ミリを35ミリにした画面も汚い。妙に「かしゃかしゃ」した画面だし。こんなのを素人芸っていうと、本当の素人に失礼だ。

ここまで不快な映画は久しぶりだあぁぁぁぁ。


天安門
The Gate of Heavenly Peace, 1995 - USA - 190 min.

1998年2月28日、新潟ユニゾン・プラザ

Carma Hinton と Richard Gordon が共同監督。ゴードンが撮影して、ヒントンがインタビューしている。このインタビューの仕方がとても良い。さまざまな問題の所在を明らかにしようとする意欲をもって質問内容を考えているのだろう。答える方も気合を入れて答えている。その大量のインタビューの処理も含めて編集にも技を見せていて、たった3時間で、中国の戦後史と天安門事件を一気に説明。うまいなあ。

少なくともこの映画に出てくる当事者の中では、紫鈴という女性指導者だけがえらく悪い奴だという印象を受けるが、本当にこんなに非道な奴なんだろうか。この映画だけだと、よくわからない。東京で上映したときに売っていた『天安門』のパンフには、映画の周辺のこともかなり書いている。それによると紫鈴は監督のインタビューを拒否しているらしい。

他の登場人物で印象に残るのはやっぱりウーアル・カイシかな。「どんな中国にしたいのですか?」と聞かれて、ちょっと考えてから「ナイキ・シューズが自由に買える国」と答えておりました。いろいろ考えさせられました。面倒なのでいちいち書かないけど。

とにかくこの映画を見ると、まだまだこの問題は継続している問題で、当事者の認識もいまだに不定形であることを示している。だいたい、天安門で学生が殺されたかどうか、真実はわからないまま、というのもすごい。

「第8回にいがた国際映画祭」のなかの「ドキュメンタリー特集---真実を求めて---」での上映でした。そう言えば、この映画を見たとき、となりの席には本学の学生さんが親子(っていってもその学生が子供を連れてきていたんじゃないよ。お父さんといっしょ)で来ていたなあ。うれしいことである。


ピョンヤン・ダイアリー 1994-1997
Pyongyang Diaries, 1998 - Australia - 71 min.

1998年2月28日、新潟ユニゾン・プラザ

これも「第8回にいがた国際映画祭」のサブ・プログラム、「ドキュメンタリー特集---真実を求めて---」での上映。

製作、監督、脚本、ナレーション、撮影、現場録音も全部 Solrun Hoaas という人です。このスールン・ホアス(って読むのかな)という映画監督がピョンヤンの映画祭に招待されたりして2回北朝鮮を訪問したときの記録。多分ホーム・ビデオで撮ってるんだと思う。

内容は、まあ、こんなもんだろう。ただ、北朝鮮で出世するにも、かなりの知力が必要だということはよくわかった。金日成や息子を誉めないといけないのは当たり前だけれど、その誉め方も、普通の誉め方では評価されないらしい。

例えば、ある映画監督は自分の撮った作品を金正日が修正したことにたいして、「映画の内容を真に深く理解した指導者がとても良い方向性を少しだけ示唆してくれたので、その方向性も参考にしつつ内容を変更し、映画自体がより豊かなものになった」というようなことを言っていた。普通はこういうことを「独裁者による検閲」というのだが、それをいろいろ知恵を使ってこのように言いかえるのは、やっぱりただの阿呆ではできないのじゃないか。こうしたレトリックの才がなければ、この国では出世できないと思うと、私の心も救われる---わけないよなあ。

今の政治体制ができてしまった以上、こういう事態が生じるのはしょうがないとは思う。しかし問題なのは、この北朝鮮の監督が本心からそう言っているのか、それとも、独裁者の言うことをとにかく聞いたふりをしておいて、なんとか映画を作ることには携わっていこうとしているのか。そこは大きく違うし、それによって北朝鮮の政治体制がどの程度、「完成」されたものかがわかるんじゃないか。実際は、その境界線はひけない。しかしそれでもなお、本人の主体的な認識は知りたいと思う。

当然、このような問題は現在の日本においても考えてみなければならない問題である---と今回はちょっとまじめモード。


愛しのタチアナ
Pida Huivista Kiinni, Tatjana(a.k.a. Take Care of Your Scarf, Tatiana) 1994 - Germany / Finland - 62 min.

1998年2月22日新潟市民プラザ

カウリスマキにはずれなし。正確にいえば、あたりだのはずれだのということと関係ないような気もする。でも面白い。

60年代のフィンランドの田舎。コーヒーをがぶ飲みすることに人生の意味を見出している(としか思えないほど、とにかくこいつはコーヒーを飲んで飲んで飲みまくる)暗い仕立て屋と、ロックンローラーを体現する40過ぎの自動車修理工のふたりが車で意味もなく移動する。彼らが途中で2人の中年女に会い、一緒に旅行することになるのだが、別におしゃべりをするわけでもなければ、性行為をするわけでもなし。なんかよくわからんまま、彼らは旅行する。そんないいかげんな感じで話が進みながら、ちゃんと話も完結するところがすごい。ロードムービーだけど、ロードムービー独特の湿っぽい嫌らしさもないし、不条理劇ほど退屈でもない。ちゃんと面白い話と思わせるあたり、わたしゃ好きです。

カウリスマキはよく音楽でもびっくりさせる。『コントラクト・キラー』ではジョー・ストラマー。この映画ではジョニー・キャッシュ。さすがにジョニー・キャッシュは喫茶店でギターは弾かんが。「ジョニー・キャッシュは『行け』と言った」というのは歴史に残る名台詞だと思う。

これも「第8回にいがた国際映画祭」での上映。しつこく言うが、こういう映画が新潟で見えるのは本当に嬉しいです。


コーリャ愛のプラハ
Kolya, 1996 - Czech Republic - 105 min.

1998年2月22日新潟市民プラザ

ヤン・スビエラークが監督し、その監督の父が脚本、主演。子供の使い方はあざといが、丁寧に作った良い映画だった。この父ちゃんがオメロ・アントヌッティみたいなで、なかなかよろしい。オメロ・アントヌッティから怖さを抜いたような顔。

社会主義の「勤勉さ」をどうしても好きになれないチェロ奏者が、偽装結婚で金を儲けようとして、他人の子供の面倒を見ることになる映画。この5歳の子供の名前がコーリャ。日本でこいつがじいさんにでも怒られたら「こりゃ、コーリャ」……すまん。

当然、最初反目しあっていた彼らの間に、情愛が芽生えてくるあたりがメインになるのだけれど、あんまりねちょねちょしてないし、主人公が結構金欲しさに動いたりするところもいい。ただ、ストーリーの中にプラハの共産主義崩壊という政治的な出来事が入ってきて、そこでいくらか社会批判めいたシークエンスがある。これは不必要な気もしたが、どうだろうか。

それにしてもタイトルに「愛」を入れんとおまえらは邦題をつけられんのか。

これも「第8回にいがた国際映画祭」で見ました。



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